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新月の前夜に

 ――チルノ――


 「うわ、チルノ音立てすぎ。今ずびずばーとか音したよ」
 「こういうのは、豪快に食べた方が勝ちなのよ!」
 対面に座るフランに答えて、あたいはまたそれをすする。
 紅魔館のメイドの言うことには、この料理は『なぽりたん』とか言うらしい。
 横には、甘い水を入れて貰ってご満悦のリグルん。
 あたいたちは時々、こうやって紅魔館でご飯をご馳走になる。
 食べた反応は六人六色。
 大ちゃんは上品すぎて緊張して。
 リグルんはおいしいお水があればいい。
 ルーミアは味も分からないような勢いでかき込むし。
 橙は、やはり主人の料理に舌が慣れてるんだと思う。ちょっと微妙な顔になる。
 「――みすちーも、来れば良かったのにね」
 少しだけ寂しそうなフランの顔。
 でも、仕方がない。これはいつものことだ。
 私たちが一緒にご飯を食べるのは、回数ではみすちーの屋台がダントツ。
 でも、今日ばっかりはダメなんだ。
 「いつから、みすちーはこうなの?」
 「えっと……」
 そうやって思い返すと。
 「……多分、あたいと出会う前からだと思う」
 一ヶ月に一回、みすちーの屋台はお休みをする。
 それは、日にちこそ変動はしても、ローテーションは変わらない。
 と、言うことは。
 「そうか、もう明日は新月なんだね」
 大ちゃんの声がする。
 月がお空から消える日の、1日前の夜。
 夜雀の屋台の、唯一の定休日。
 その日、みすちーが何をしているのか、誰も知らない。
 みすちーも、あたいたちに教えてはくれなかった。

 そう、今この時。
 みすちーは、いったい何をしているんだろう?




 ――ミスティア――



 一年くらい、前だったと思う。
 まだ、私が屋台なんてものを出してもいなかった頃だ。
 私は、お星様を見つけた。
 月に寄り添う、綺麗なお星様を。


 木から木へ。梢から梢へ。
 私は、いつも歌の練習場にしている小さな広場に向かっていた。
 帰る前に、眠る前にもう一曲だけ。
 いつものように、歌いながら夜を過ごしたけど、私の喉は熱いまま。
 まだまだ歌い足りないと、私に訴えかけてくるんだ。
 軽く一曲、上機嫌に口ずさみながら、木々の間を抜けていく。
 そうやって、私は勢いに任せて広場に飛び出そうとして――。
 ――誰か、いる?
 広場に見えたのは影。真ん中の切り株に座っている。
 「――ッ!」
 考える前に腕は伸びて、とっさに側の木の枝を掴んだ。
 勢いを殺した腕が突っ張って、慣性は私の体を突き抜けて。
 (あー、あー、あー)
 体の筋肉が縦に伸びきって、ちょっと痛かったけど。木の枝にぶら下がる形で、なんとか止まることが出来たんだ。
 そのまま体を後ろに振って、茂みの中に着地する。
 さて。私のコンサート会場に勝手に入り、ステージの上に不作法にも腰掛けてるのはどんなヤツか――。
 一目で妖怪だと分かった。長い耳を持っていたから。
 そいつは、上を見ていた。
 私も釣られて空を見上げて、そいつが何を見ていたのか分かったんだ。
 ――明日は新月。
 そいつは、細り行く月を――じっとじっと、見つめていた。
 消えてしまう前に、目に焼き付けようとでもいうかのように。
 何かのリズムを刻むかのように、耳がゆらゆらと揺れている。

 邪魔しちゃ、いけない。

 感じたのは、ただ一つのこと。
 私の目の前、月を見続けるそいつにとって――この時間は、とても大切なものなのだということだけ。
 それほどまでに、その場は神聖だった。
 それほどまでに、その場は静謐だった。
 だって誰もが、そいつの邪魔をしていなかった。
 森の動物たちは、遠巻きに眺めて近寄らず。
 木々は小揺るぎもせずに、ただ静かに見守り。
 風すらも、吹かず奏でず自重する。
 見せてやろう、彼女の気の済むまで。
 誰もがそう思って作り出した無音。彼女のための空間。
 なのにー。
 喧噪が聞こえる。
 騒がしい人間の声。
 近くの道を、5人くらいの人間が歩いている――。


 気が付けば、歌っていた。
 鳥目にされて、尻尾を巻いて逃げ帰る大の男5人。
 どうしてだろう。どうして私はあんなヤツのために、こんなことをしているんだろう。
 あいつの平穏なんて、私には関係のない事のはずなのに。
 そうしてまた、広場近くの茂みに戻る私を迎えたのは。
 さっきまでと変わらず揺れる、二対の耳。
 私はさっきまで、張り裂けそうなほどに声を上げて歌ったのに。
 それすら聞こえていないと平然を保っている。
 (……聞こえてなかったの?)
 そして気付く。
 ゆらゆら揺れるその耳の意味に。
 それに合わせるかのように動く、足の意味に。
 彼女は、細り行く月を見て居るんじゃない。
 歌を聴いているんだ――月の歌を。
 消えゆけば消えゆくほど、聞こえにくくなるそれを拾い集めるように。
 私には聞こえない。
 他のみんなにも、聞こえていないだろう。
 それでも私は、そいつをずっと見ていた。
 太陽が昇って、月が見えにくくなっても。
 月がお山の向こうに消えて、森の奥に消えていく背中を見送るまで。

 ああ、――まるで、その姿は。
 月に寄り添って光る、星のようだった。




 それから、一ヶ月に一回。
 新月の前夜にはかならず、私は歌を歌うようになった。
 そいつのところに、誰も寄せ付けないために。
 私の歌を聴いて逃げる、人間たちの気配を感じながら歌い続けたんだ。




 変わらなかった日々。
 そいつはずっと切り株に腰掛けて、月の歌を聴いていた。
 それが何回か繰り返された、ある夜のこと。
 ただ、静かに歌を聴くそいつの瞳が、大きく見開かれて。


 「ま――待ってよ!!」
 ――始めて声を聞いた。
 こっちとしては、5ヶ月くらいの付き合いの中で、始めて。
 そいつは、切り株の上に立ち上がり、必死に叫び始める。
 「ねぇ、待ってってば! どうしていきなりそんな……。
 ダメ、ダメ! できない、だいたい、どうやって帰ればいいのかすら――」
 請い願うように、月に手を伸ばす。
 月を抱くように、月に向けて哀願する。
 やめてくれと。許してくれと。
 そうして、そいつは
 「そん……な」
 へたり、と切り株にへたり込んだ。
 瞳は暗く、顔は憔悴しきって。
 先程の数秒の間に、いったい何を聞いたのか。
 そいつは座ったまま、再び月を見上げると
 「待って、待ってください……帰ります、帰ります……。
 ですから……応答を……ルナメガロポリス、応答を……」
 叫び――その真っ赤な瞳から、大粒の涙をこぼした。
 「う……うあああああああああああああああああ!!」
 そしてそいつは走り出す。
 逃げるように。この広場から。あの切り株から。
 そして、細る月から。
 涙は止まらない。ただ落ち続け、彼女の服に、地面に染みを作っていく。
 点々と長く続く小さな湖は、子狐の足跡みたいだ。
 私は広場に歩み出る。
 一歩、二歩と切り株に近づいて。
 涙は完全に染みこんでいって、足跡はうっすらと消えていく。
 そんな中で私は、あいつと同じように、天井の月を見据えた。
 消えゆく月の調べは、私には届かない。
 あいつしか分からないはずのもの。答えなんて返ってこない。
 なのに、私は。

 「――何を、聞かせたの!!」

 叫んでいた。
 届くはずがない。
 月の歌を聴けた彼女すら、応答を求めていた。
 それは、月が彼女の言葉を聞いてくれない事実だ。
 ましてや私の問いに、答えなど返ろうはずも――。
 それでも。
 「泣いてたよ? もう少しまってって泣きながら……」
 叫んだ。
 「あなたがどんな歌を歌ったかなんて知らない」
 叫び続けた。
 「でも……人を悲しませる歌なんて、許さない」
 声が枯れるまで。
 「泣かせて良いのは、感動する歌だけ!」
 喉が果てるまで――。
 「心に染みいる悲しみならまだしも――人の心を抉る悲しみなんて!
 あっちゃいけない歌でしょう!?」

 「何か言いなさいよ! 聞いてるんでしょう!!」


 私は、何に怒っていたのか。
 平静を失ってまで――私がちょっと感情的なきらいがあるから、それは仕方ないかもしれないけど。

 切り株の少女の涙に驚いて冷静を欠いたのか。
 そういえば私は、彼女を最初に見たときも、感情に任せて歌を歌ったっけ。



 それ以来、彼女には会っていない。
 私が月に叫んだ二週間の後、不自然に月は欠けた。
 永い永い夜の中で、私は人妖なんていう奇妙極まりないコンビと弾を交えて。
 結果の大怪我で、とある妖精の世話になっていたからだ。
 新月の前夜にも、彼女は来なくなってしまった。
 今ではこの切り株は完全に私のものだ。
 あの時とおんなじように、細る月は空に浮かぶけど。
 その横に寄り添った、綺麗な星は見えやしない。
 月は更に細っていく。
 15の黒衣の者たちが、15の白衣の者たちを追いやっていく。
 そんな中に。
 「あら、先客かしら」
 鈴の声が転がった。
 一抹の期待を込めて振り向いた、私の目に映るのは――翠の黒髪。
 感想は素直なもの。
 「あなた、だれ」
 少しだけ、言葉に刺が混じった。
 来てくれると、本気で信じていた訳じゃないけれど。一瞬、早とちりしたのは確かなんだ。
 期待した分、外れたアテの失望が大きい。
 そんな不機嫌な私に向かって、黒髪の女はと言うと。
 「名乗るなら自分から、よ。失礼な妖怪ね。
 まあいいわ。蓬莱山輝夜、よ」
 先に自分から、それも勝手に名乗ってしまった。
 正直このカグヤとかいう女は気に入らないけれど、名乗られたからには名乗り返さないといけない。
 「――ミスティア・ローレライ。
 ところでここは、私の貸し切りなんだけど」
 ものは試しと不機嫌を隠しもせずに邪険にしてみるけれど、カグヤにはこれっぽっちも通じなくて。
 「あら、そうなの?
 おかしいわね。レイセンは、誰にも邪魔されずに月が見られる穴場だって言ってたのに」
 逆に、そんな――私が惹かれざるを得ない餌を目の前に吊られてしまった。
 レイセン。恐らくは誰かの名前。
 けど、今の言葉のもっと大切なところは別のこと。
 レイセンとやらはこの場所を『誰にも邪魔されないで月が見られるところ』だと、この女に紹介したと言うことだ。
 「ねぇ、そのレイセンって、もしかして」
 「私が飼ってる兎よ。それがどうかした――ふぅん?」
 カグヤはそのまま、私がいる切り株の前まで歩を進める。
 「な、何」
 「ちょっとね……へぇ」
 カグヤの黒い瞳は、私の目をじっと覗き見てきて。
 私は瞳を通して記憶を覗き見られているかのような錯覚すらも覚えてしまって。
 「レイセンを知っている。
 いいえ――あるいは、あなたなのかしら?
 ここにいるレイセンに、誰も近寄らないようにしていたのは」
 ――ばれた。
 「普通に考えれば、おかしな話だもの。
 すぐ側に人が通る道があるのに、ここが人間に見つかっていないなんて。
 レイセン以外の何者かの介入があったと見た方が妥当だわ」
 そう言って、カグヤは私にてくてく近寄ってきて。
 「レイセンも罪作りな子。知らないところで、こんなに可愛い雀を虜にするなんて」
 「と、虜になんて――」
 けれど、カグヤはやっぱり私の言葉なんて聞いていない。
 ひとりでぶつぶつ、これ以上増えるのは、でも、兎だって毎年増えてるし、とか言っている。
 そうして。ようやく口を開いたと思ったら。
 「――決めたわ。ミスティア。私のペットになりなさい」
 そんな、馬鹿らしい提案を本気で持ってきた。
 「嫌よ」
 「あら、どうして? レイセンに会えるのよ?
 大丈夫、雀を逃がしてしまう悪い犬君はいないわ。もちろん伏せ籠の中に閉じこめたりもしない。
 永遠亭は平和なところよ?」
 それでも、嫌なものは嫌。私は自由でいたい、自由に歌っていたい。
 誰かのために歌ってあげるのは、そりゃあまあやぶさかではないけれど。
 誰かの庇護の元で、誰かのために歌わされるのだけはまっぴらごめん。
 それに、一番気に入らないのは。
 「――舐めないでよ、人間風情のくせに。
 夜雀を飼い慣らそうなんて100年早いわ。100年経ったら考えてあげる」
 ただの人間が、私を自分のものにしようとしてるって言うことだ。
 「あら、これでも私、2000歳くらいかるーく越えてるのよ?」
 知るかそんなの。
 「100年経ったら来いって言ったのよ。
 あんたがいくつだろうが関係ないわ。100年後に来なさい、100年後に」
 そうやって突っぱねてやると、カグヤはようやく私がどうやってもなびかないと分かったようで。
 「はぁ、残念……ちぇ」
 小さく唇を尖らせた。
 けれどそのまま、彼女は袖の中に手を突っ込んで。
 「はい、ミスティア。これあげるわ」
 出てきたのは紙の束。なんだろうと訝しみながら手に取ってみると、そこにはオタマジャクシが並んでる。
 「楽譜と、歌詞?」
 「覚えなさいな。私とレイセンの故郷の歌よ。
 あの子たち月の兎の、綺麗な赤い眼を歌った歌」
 「ふぅん……えと、ま、ひる〜の」
 そうそう、とカグヤは頷いて。
 「練習の邪魔するもの悪いわね。
 帰るわ。また会いましょうミスティア」
 その歌うのに夢中な私は、それに適当にうん、と頷いた。
 そんな私を見て、カグヤは本当に満足したみたい。
 最後に、要らないことに私の頭を撫でて。
 大丈夫、その歌を歌えるようになったら、きっとまた会えるからと言って――広場から消えていった。
 ――空には、細っていく月と、側に輝く星が見える。

 「ゆがむ、つきがきえてる……あなたはみえてる……」

 歌の歌詞を口ずさむ。
 私はあの日、月の側に寄りそうきれいな星を見つけた。
 けれど、私は夜雀だから、星にはなれない。星の側まで飛んではいけない。
 あるいは夜鷹なら、何とかなったのかも知れないけれど。
 私はあのよだかみたいに空の果てまで飛んでいく根性もないし、星になれるほどのお金もない。
 だから、時々願ったりもする。
 星が私の方に落ちてきますように、と。
 あの、赤い眼をした綺麗な星が、この広場へ向かって来ますように、と。
 「――あ」
 月の側から、星屑一つ流れた。
 流れ星に三回願いを呟けば願いが叶うって、大妖精が言ってたから。
 私は咄嗟に、その、一筋流れる月の涙に向かって――。
 「もう一度、会いたいな……」
 一回だけだけど、お願いをしてみたりするのだ。




 ――輝夜――



 「――あ、姫様。良い月は見れましたか?」
 廊下ですれ違ったレイセンが、そんなことを聞いてきた。
 「いいえ。月より、もっと面白いものが見れたわ」
 だから、正直に答えてあげる。
 は? と口をぽかんと開けるレイセンを尻目に、足取り軽く部屋へ向かって。
 「――まったく。切り株の上で、兎をずっと待っている。
 まるで童謡の一幕じゃない」
 その、一羽の雀のことを思い出すのだった。
 そんなにまで待ちぼうけを喰らって、なお待ち続ける。
 雀でなく犬なんじゃないかとか、思うこともいろいろあるのだけれど。
 「いい恋をしてるわ」
 本人はあれで隠してるつもりなのだろうけど。
 生半可なことじゃあ、あれだけ待ってはいられない。
 彼女の胸の内に、本人すら気が付いていない恋心があるのはもはや明白。
 皮肉なのは、本人は気付けずに、第三者が初見で気付いたあたりだろうか。
 今どき珍しい。妖怪のくせにあれだけ初心で、あれだけ純真。
 ペットにして可愛がりたくなるのも、全く頷ける話。
 だからこそ。
 「さて、お膳は立ててあげたわミスティア」
 あとは間抜けなレイセンイナバが、ミスティアの待っている切り株に転んで躓くのを待つだけだ。
 「待ちぼうけ待ちぼうけ。
 ある日せっせと野良稼ぎ。そこへウサギが跳んででて――」
 ころりころげた木の根っこ。
 あの歌は、結局待ちぼうけで終わってしまうけれど。
 現実は、どうかしらね?
 
 
 
 
 ――鈴仙――




 月よりも、もっと面白いものって何だろう?
 姫様の言葉が気になって、私は久々にあの場所に行ってみることにした。
 新月の前夜に、永遠亭を抜け出すのも久しぶり。
 竹林を抜けて、木々も深い森に入ってすぐ、ほら、その広場にはすぐに行き当たって――。
 「――!?」
 そうして、私はそれに気が付いた。
 誰かいる。
 いや、それはいい。あの広場が私だけのものだったなんて、最初から思ってはいない。
 でも、これは。
 さっきから、かすかに聞こえるこの歌は。
 (――月の)
 懐かしい歌。
 月のウサギを歌った、子供の頃に聴いた歌。
 これを知っているのは、私と師匠と姫様くらいのもののはずなのに。
 姫様に、先回りされた。あり得ない。姫様は、お部屋でイナバ達の毛繕いの最中だった。
 師匠にここの話が漏れた。もっと無い。師匠は現在薬の調合の最中だった。
 だったら誰が。
 そうして私は、私たち以外に月の歌を知っているそいつの顔を一目見てやろうと――。
 そして、それに心を奪われた。
 月明かりの中、切り株の上で歌いながら舞う少女一人。
 誰かは知らない。
 地上の妖怪に見えるけど、何で月の歌を知っているのかも分からない。
 けれど、その姿はとても真摯で、とても綺麗で。

 邪魔しちゃ、いけない。

 感じたのは、ただ一つのこと。
 私の目の前、歌い続ける彼女にとって――この時間は、とても大切なものなのだということだけ。
 それほどまでに、その場は神聖だった。
 それほどまでに、その場は静謐だった。
 だって誰もが、そいつの邪魔をしていなかった。
 森の動物たちは、遠巻きに眺めて近寄らず。
 木々は小揺るぎもせずに、ただ静かに見守り。
 風すらも、吹かず奏でず自重する。
 歌わせてあげよう、彼女の気の済むまで。
 誰もがそう思って作り出した無音。彼女のための空間。
 でも。


 「あ〜か、いめ、のこぉんたくと〜」
 あ、今音を外した。
 「ゆれるせかいを、み、つめてる〜」
 また外した。
 「あなあきのえるされみゅ〜」
 あまつさえ噛んだ!
 その、私が一番好きだった歌を、こんなに下手くそに歌われちゃあ――いろいろぶちこわしってもんなのだ。
 「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!」
 そうして、体は勝手に動いた。
 邪魔しちゃいけないと思ったのに、私はもう止まらない。
 「――うぇ!?」
 自分が歌うのを、突然邪魔されたからか。
 とにかく、その鳥みたいな少女は眼をまんまるにして。
 けれど、そんなことはかまわずに私はその子に詰め寄って。
 「いい、その歌はね、こう歌うの」
 きっと、本来ならその少女の歌唱力の半分にも満たない歌を――。



 ――そしていつのまにか、その場所は私たちの待ち合わせ場所になった。
 あの日、歌を教え終わって帰ろうとした私に、その子は言ったのだ。
 「ま、また待ってるから! 次の新月の前夜、この広場で――」
 だから、もっと教えて、と。
 そうして一ヶ月に一回、私たちはここで二人きりで歌を歌う。
 あの日から私は、この子についていろいろなことを聞いた。
 姫様から、月を見ていた私をずっと守ってくれていたのはこの子だと。
 私が月を見なくなってから、ずっとあの切り株で私を待っていたのだと。
 新聞には、うなぎ焼きの屋台を始めたと書いてあったから、一回呑みに行ってもいいかもしれない。
 けれど。
 この密会が、やっぱり一番楽しかったりする。
 「紅い目のコンタクト〜♪」
 背中合わせの向こうから、ミスティアの歌が聞こえる。
 懐かしい月の歌。今ではもう、私よりもずっとうまく歌いきってしまう。
 「揺らぐ世界を見つめてる〜♪」
 私がここに来なかったのは、ただ怖かっただけなのだ。
 あの夜、聞いてしまった声に。
 帰ってこいと、帰ってこいと。
 永夜が終わり、月からのその交信はもう聞こえてこないはずなのに。
 もう二度と聞くのが嫌で、私は、ミスティアの言う月の歌を聴くのをやめていた。
 今では、聞く必要すらも無いと思える。ミスティアの歌があるから。
 ミスティアが、懐かしい歌を歌ってくれるから。
 でも。
 (逃げてちゃ、ダメだよね)
 背中あわせに切り株に座っているミスティアの手に、こっそり自分の手を重ねた。
 私が月の歌を聴いているあいだ、この子はずっと守っていてくれたから。
 今からも、これからも。
 この恐怖から、この現実から、私を守っていて欲しい。
 重ねた手に、ミスティアの温もりを感じながら。
 私は、月兎の交信チャンネルを開いた。





 ――ミスティア――
 
 
 
 震える鈴仙の背中に、私は歌うのを止めた。
 さっき、手を重ねてきてからすぐ。
 何が起こったのかと後ろを振り向く私の目に映ったのは、蹲って泣く鈴仙の姿。
 「ど、どうしたの!?」
 「――――――――」
 答えは返らない。ただ、彼女の頭の上、二本の耳だけが揺れている。
 ――あの日の夜のように。
 「――聞いたの? 月の歌を」
 私の問いに、鈴仙は。声も漏らさずにうん、と頷いた。
 ――もう、聞かないと言っていた。
 聞くのが怖いと言っていた。
 自分は罪人だから――と。
 でも。
 切り株から降りて、鈴仙の前に回り込む。
 「――どう、だったの?」
 本当は、聞くまでもなかったんだ。
 回り込んで見た、蹲った鈴仙の顔は――泣いていたけど悲しんではいなかったから。
 「笑ってた、みんな……笑ってた……。
 よかった……本当に……もう……戦わないで……」
 「――だったら、鈴仙も笑おう」
 私の言葉に、鈴仙は顔を上げる。
 またこれだ。
 「自分は罪人だから、そんな資格はないっていつも言って、いつだって笑えない。
 笑ってくれない。
 気付いてる? この数ヶ月の鈴仙はずっとそんなだったのよ?
 あの時の、微笑みながら月の歌を聴いてた鈴仙は、どこにいったのかと思ってたくらい」
 でも。
 「きっともういいの。
 あそこにいる、鈴仙の仲間たちは笑ってるんでしょ?
 じゃあ、鈴仙も笑おうよ。
 泣いてばっかりじゃ勿体ないじゃない?」
 そんな私の言葉に、鈴仙は頷いて。
 「――でも、もうちょっとだけ、泣かせて――」
 ――そのまま鈴仙は、私の胸に顔を埋めた。
 「――いいよ。好きなだけ泣いてて。
 でも、泣きやんだら、絶対に笑顔見せてよ?」
 ふるふると肩を振るわせて、えづきながら鈴仙は頷いて。
 そう。それでいい。
 あの時から、私がやることは変わってない。
 鈴仙がどれだけ辛くたって、影から日向から、私がこっそり守ってあげるから。
 私の前でなら、どこまでも弱くて良いよ。
 だから、私を後ろに置いて、どんな敵にだって相対すればいいんだ。
 ――ここに来て、ようやく気が付いたけれど。
 好きな人を守ることに、理由なんて無いんだから。
 鈴仙を抱きながら、上を見上げる。
 そこにはあの日と変わらずに細り行く月があった。
 だから私はこっそり、月に向かって心の中で言ってやるのだ。
 なぁんだ、やれば出来るんじゃない。
 でも、やりすぎちゃダメ。
 鈴仙に歌ってあげるのは、もう私の役目なんだから。
 あなたの歌は、聞かせてあげない。
 鈴仙にはもう、私の歌しか聞かせない。
 





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 あとがき

 
 SYNC.ART'Sの曲、「新月の前夜に」を聞いてたら思いついた
 歌詞引用してるけど大丈夫だよね!ね!