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レイサナ5

 ――霧雨が降っている。

 音もなく降る細やかな水滴は、博麗神社に何者も寄せ付けない。
 こんな寒い日には、誰もが家でじっとしているのだろう。
 魔法使いは、黴ばかり生えた森で黴の生えそうな読書に没頭し。
 吸血鬼はこれ幸いと久しぶりの昼間安眠を得て。
 狐も猫も、冬眠に入った主の世話をして。
 おそらくは亡霊もまた――。




 火にかけていた小さな土鍋から、いい匂いが漂い始める。
 時刻はお昼を過ぎたあたり。
 鰹と梅で薄味に仕上げた粥は、もちろん病人食だ。
 息を吹きかけて、調理場の火を消して。家主のところへ持って行く。
 霊夢は、私が立った30分前と変わらずにそこにいた。
 荒い呼吸と赤い顔。
 側には水で満たした桶と白布がある。
 巫女服の腋から手を差し込んで、鎖骨の下あたりに当てた。
 額は濡れ布で冷やされているので、熱を測る指針には成り得ない。
 東風谷早苗の平熱を36.5程度だと仮定すれば、この熱さは38越えだろう。
 「……さな、え?」
 うすらと目を開ける彼女には、私の姿もぼうと映るのだろうか。
 「おかゆを作りました。食欲はどうですか?」
 「――食べ、る」
 そう言って、霊夢はゆっくりと体を起こす。
 軽い風邪だろうと思う。
 熱こそそれほどでもないが――それは、外から測れる情報に過ぎない。
 自分の体は自分が一番知っていると言うように。
 この風邪による苦しみも、霊夢だけのもの。
 今回霊夢に感染した菌は、感染力はそれほど強くないが、その分重い症状が出るらしい。
 不運なことに、体にきてしまった風邪なのだ。
 熱こそ低いが、体だけへろへろになってしまっている。
 「お水、ちょうだい」
 水を入れた湯呑みを手渡して、土鍋の蓋を開けた。
 「――ん」
 散蓮華で、おかゆをひとさじ掬う。
 それを、霊夢の側へ持っていって。
 「口を」
 私の言葉に、霊夢は大人しく従った。
 ふだんの彼女ならば、抵抗しただろう。自分で食べられる、と。
 しかし。
 体中を気怠さに犯された今の霊夢には、そこまでの元気もない。
 ――二口目。
 ――三口目。
 そのまま土鍋の半分を消費したところで、霊夢は再び横になってしまった。
 ある程度おなかが膨れたので、眠くなったのだろう。
 起きあがった時に落ちてしまった、熱冷ましの布を拾い上げて、水に浸けて。
 「――ふぅ、ぅ」
 苦しそうな寝息。
 顔の赤みは更に増したか。どうやら敵は手強く、体の中では激戦のようだ。
 布ではなく、手を霊夢の額に置く。
 特になんの意味もない、ただ、熱をしっかり測ってみようというだけの行動だったけど。
 水に浸けた手は冷たいのか、少しだけ、霊夢の呼吸が落ち着いた。

 ――よかった。

 そうして、さて布を額に乗せようか、と離した手を――。

 熱い手が掴んだ。
 「――霊夢?」
 ちょっとだけ、安定した寝息が聞こえる。
 起きてはいない。けれど、離してもくれない。
 「――わかりました」
 正座を崩して、楽な姿勢になる。
 もちろん手は繋いだままで。
 
 ――誰も声を発しない。
 私はただ、霊夢の寝顔を見つめている。
 音もなく降る霧雨の中で。
 霊夢の寝息がかすかなだけ。



 厚い雲が光を遮り、薄暗い昼下がり。
 明かりもついていない、博麗神社の中で。
 少女ふたり、ただ静かに時を過ごす。

 博麗霊夢は眠りについて。
 東風谷早苗は、たまには静音も悪くないと思い。


 ――霧雨が降っている。
 博麗神社には誰も来ない。
 ただ、巫女二人――静寂を過ごすのみ。




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 あとがき

   まったりしっとりした話が書きたかった。
 なんかふんいき出ててスキー。