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レイサナ9プロローグ

 海を見た。
 果てなく寄せる波を見た。
 それはきっと少女が見た、生命の原風景。




 「霊夢!」
 博麗神社の境内に降り立ち、一声。
 まったくもって初耳だ。。
 今朝のこと。珍しく、麓のヒーローが朝から守矢神社にやって来たなと思えば。

 「そういえば、あと3日で――」

 寝耳に水にも程がある。
 あの時は手水屋で顔を洗おうと思っていたのに、そんなことするまでもなく目が覚めた。
 「何よ早苗。また突然ね」
 さあ、私の声を聞きつけて出てきた霊夢に、本当かどうか聞いてみよう。
 「あと3日で誕生日ってホントですか?」
 そんな私に、霊夢はあっさり『うん』と頷くのだった。


 「何か、欲しいものとかはありますか?」
 霊夢に聞いてみる。
 どうして教えてくれなかったのか聞いてみても、「あー、忘れてたわ。てへ」で済まされる。
 だから方向性を変えてみるのだけれど、少しだけ考えた霊夢からは。
 「……特にないわね」
 そんな、無碍な言葉しか返ってこなかった。
 そう言われてしまうとキツい。
 おそらくは、私があげるものなら霊夢はなんでも喜んでくれるだろう。
 だからこそ、一から百まで私が考え、選び取らないといけないものだ。
 ……霊夢の好きな物と言えば。
 私とお茶、がパッと思い浮かんだ。
 よもや誕生日にお茶もあるまい。お米もないだろう。なんという俗な思考回路。
 となると残るのは……私しかない。
 ……やるのだろうか。
 全裸になって、体中にリボンを巻いて。一言。
 「霊夢……プレゼントは……その……私です」
 ……と、そんな私の思考に割り込んでくる霊夢の声がある。
 「そういえば、ひとつだけあったわ……欲しいもの、っていうか……叶えて欲しいことかしら」
 それはまさに天よりの声に等しかった。
 「なんですか? 私に出来ることならなんでも――いいえ! たとえ出来なくともやります!
 それが奇跡です!!」
 そんな私を見て、霊夢は少しだけ笑って。
 「――海が、見てみたいわ」
 私に、そう言ったのだ。
 
 




 

 幻想郷に海はない。
 私でなくとも、誰もが知る真実だ。
 だからこそいつの日からか、憧れじみたものがあったのかも知れない。
 けれど、紫が教えてくれるそれは、あくまで断片的なものに過ぎなくて。
 私の頭の中に、海というものを思い描こうにも――どうにも上手くはいかなかった。
 対岸が見えないほどの水のカタマリとは、どのようなものなのだろう。
 紅魔の湖しか知らない私の想像力では、そんな大きなものに太刀打ちすら出来はしない。
 ――でも、あの日。早苗の家で見たたくさんの写真の中に、確かにそれはあったのだ。
 静止した瞬間の中に、早苗と見知らぬ誰かの背景として――霞むような遥かまで、大海原が伸びている。
 その瞬間。私は始めて、海というものを思い描けるだけの想像力の一端を手に入れたのだ。
 手に入れて、しまったのだ。
 こうなることがどうして予想できなかったのか、自分でも分からない。
 けれど、想像力を手に入れてしまった私は知らないうちに、海が見てみたくて見てみたくて仕方なくなって――。
 毎日思い描くほど、我慢がならなくなっていた。
 ああ、だからそう言ったのも当然のこと。
 そんな海を、無意識のうちに恋い焦がれ続けた海を早苗と一緒に見られるなら――こんなに素敵なことはない。








 「海――ですか」
 その願いは、本来ならとても簡単なこと。
 たった1日だけで良い。時間を作ることが出来れば、電車や車で叶えられてしまう願い。
 けれど。
 「――まあ、無理よね。ごめんね無理言って」
 それが出来ないことは、霊夢自身が一番良く分かっているのだ。
 その願いは、この隔離された幻想郷では、いくら願えど叶わぬ願い。
 だからこそ、そんな悲しい顔で、私に謝るのだろう。
 私は、霊夢を笑わせてあげたいのに。
 三日後に笑って貰うための話をして、悲しませてどうするのか。
 少しだけ、自分が嫌になって。
 少しだけ、意地を張りたくなった。
 「――分かりました」
 霊夢の目を、真正面から見つめ返す。
 今の霊夢の悲しみを、絶対に笑顔に変えてやる。
 「今から、海に出発する準備をして待っていてください。
 行きましょう、二人で、海へ」




 そう言って博麗神社を飛び立って。
 唯一、幻想郷で結界を越えられるであろう人を訪ねはしたものの。
 「――出来ないわね」
 冬眠をたたき起こされ不機嫌なその妖怪に、あっさり却下されてしまった。
 「あなたの気持ちも分かるわ。
 他ならぬ霊夢の、誕生日を前にしたたっての願い。叶えてあげたくないわけがない。
 私だって、叶えてあげたいわ――けれどね、出来ないの」
 八雲紫はそう言った。
 私にだって分かっていた。簡単に進入できず、簡単に脱出できない故の幻想郷。
 「あなたも、考えてごらんなさい。
 この幻想郷から、外に出る方法があって?」
 八雲の声は、耳から私の脳に浸透して。
 その通りに考えを巡らせる私を――彼女は手に持った扇で指し示して。
 ――出来るわけがない。
 私の脳は、東風谷早苗はそう結論した。
 そんな私の思考を受けるように、さながら私の思考の帰結を読んだかのようなタイミングで。
 「ありはしないでしょう?
 分かったら、海を見てくるなんて夢は諦めて、他のプレゼントを探しなさいな。
 霊夢なら、きっと喜んでくれるわよ。
 藍、ら〜ん、寝床の用意をして頂戴。二度寝するわ〜」
 そう言って、マヨヒガの奥へと去っていく。
 その背中を見送りながら、私はまだまだ考える。 
 ――無理、絶対に出来ない。
 それが結論。私の思考は、そこに辿り着いた。それ以上考えるのは無意味だ。
 けれど、私のどこかにしこりがある。
 昔の私なら、どう考えていただろう。
 それを思い出すかのように、私は思考の中に再び埋没して、同じ思考を繰り返す。
 ――出来ない。
 変わらない結論。
 ――出来ない。
 繰り返す思考。
 ――出来ない。
 けれど、この思考に反するものが、私の心の底から湧いてくる。
 何かあったはずだ。私があの時、どうして霊夢の悲しみを止めたいと思ったのか。
 何が私の心を、あれだけ苛つかせていたのか。
 霊夢が好きだから。それもあった。
 願いを叶えてあげられないから、それも――。
 叶えて、あげられない?
 どうして?
 幻想郷から出られないから。
 ――出来ない?
 幻想郷からの脱出は、本当に不可能。
 不可能?
 私に出来ないことがある?
 そんな馬鹿な。

 そうだ、どうして私はこれを忘れていたんだろう。

 ――出来ないことなど、あってはならない。

 私のプライドは、そう結論した。
 霊夢の前ということもあっただろう。
 いいところを見せてやりたいと思う心も無かったではないだろう。
 しかし、何よりも――産まれたときから私について離れなかった、現人神としての私が不可能を認めたくなかっただけ。
 打ち壊せぬものなどあってはならない。
 叶えること叶わぬ願いなどあってはならない。
 東風谷早苗の奇跡は、世界の全てを可能としなければならない。
 あの心のささくれも、あのいらつきも全ては――。自分のプライドを刺激していたんだ。
 思えば、幻想郷に来てから私は打ちのめされてばかりだった。
 霊夢に破れ、ロクに生活も出来なくなっていつの間にか、自信というものを喪失した。
 そこを霊夢に助けられて、いつの間にか、互いになくてはならないものにすらなって。
 私はそれに寄りかかって――いつしか、自分に出来ることすら忘れては居なかっただろうか。
 自信を喪失すると同時に、私は自身までも忘れては居なかったのか。
 私に不可能なんてあってはならないのに、霊夢も八雲さんも不可能をわたしにちらつかせるものだから――。
 その言葉は、私が忘れ去った私を無意識にちくちくと苛んだ。
 ああ、でも感謝しないといけない。
 その不可能のおかげで私は、霊夢を外に連れて行ってあげられそうだ。

 「待ってください」
 去る背中に声をかける。
 「何かしら? もう話はついたと思うのだけれど」
 いいえ、それはこれからです八雲さん。
 だって、目の前にあるんですもの。私の目的とするもの。
 「――あるじゃないですか。幻想郷の外へ行く方法」
 「いいえ、ないわ。どうして分からないの。
 外へ出ることは『出来ない』わ」
 そう、その台詞。
 私はその台詞で、今まで煙に巻かれていただけで、外に行く方法がない訳じゃあない。
 「外へ出してあげることは、『出来ない』――の間違いでしょう。神隠しの主犯」
 この妖怪は、そういう存在だ。
 外の人間をさっくりと、こちらへとさらってきてしまう。
 それは、出入りが至難と言われる幻想郷において唯一の、はっきりとした入り口だ。
 そう、そしてそこに穴が空くのならば。
 「あなたのスキマは出口にもなる――違いますか八雲紫!」
 そうやって叩きつけた意志に、八雲はなんとも禍々しい笑みで答えて。
 「そうであるならば何とする――祀られる風の人間!」
 「しれたこと――」
 私と八雲のアクションは同じ。
 懐から取り出したるカードの束。
 その中から互いに五枚が宙に浮いた。
 「無理にでも通して貰うわ! 幻想の境界!!」
 「通れるものなら通りなさい! ただし帰りは怖いわよ――神巫の風!!」






 ――それで。どうなったのかというと。
 「これが、外の世界なのね……」
 「そしてこれが、外の世界の博麗神社なんですね……」
 スキマを抜けると、そこは神社だった。
 私と霊夢の旅支度は簡単なもの。
 寒い冬空を耐える、いつもの巫女服防寒仕様とちょっとの防寒具だけ。
 あとは、私が持っていた5万円くらいのお金と。
 「よっ……と」
 私はそれを組み立てる。
 簡単に折りたため、持ち運びに便利な移動用具。
 「自転車……って言うんですけど。まあ、早く移動するための乗り物です」
 私の部屋で埃を被っていた愛機その2、早苗ちゃんエンペラーだけ。
 「ああ……こっちでは飛べないんだっけ。面倒臭いわね」
 そう言って嘆息した霊夢の息は白。
 余談だが、その1にして通学用であったところの早苗ちゃんホライゾンはというと。
 ……先日八坂様が妖怪の山でオフロードして、見事に大破したのである。
 まったく、あんな細いタイヤシャフトが、舗装もされてない山道に耐えきれるはずも無いでしょうに。
 ごめん早苗、壊した〜、と傷だらけになって帰ってきた八坂様の姿を思い出す。
 「ふふ」
 笑いが漏れる。
 さあ、ここからは私たち二人きりの道。三日間の、長い長いデートコース。
 そもそも幻想郷からこっちへ持ってきて、役立つものがそうあるとも思えないけれど。
 「……よし、走れます。
 さあ霊夢、乗ってください」
 「え……乗るって、どこに?」
 自転車にまたがったまま、同乗を促す私に目を白黒させる霊夢。
 ああ、そうか。説明しないと二人乗りの仕方なんて分からない。
 不幸なことに、折りたたみ自転車には後輪の荷台なんて気の利いたものは無いのだし。
 「その、後輪のですね……両側に出っ張ったそれに足をかけて……そうですそうです。
 そのまま立ち上がって、私の両肩に手を置いて体重を乗せてください」
 言われたとおりにずしりと肩に掛かる体重。
 さて、これで準備は万端だ。
 まず目指すものは駅、そこから海の近くまで電車だろう。
 何日かかるか分からないのが不安だけど、間に合わせないといけない。
 「速度が乗るまでバランスが悪いですけど、落ちないでくださいね?」
 ペダルを踏み込む。
 外の世界の博麗神社、石段前から山の下へ向かって延びる坂。
 舗装されたその坂を、早苗ちゃんエンペラーは進み始める。
 眼下に広がるのは一面の畑。海なんて、カケラだって見えやしない。
 冬の山の風を切り裂いて、山を駆け下りて。
 「――飛ぶよりは遅いわね」
 「しょうがないですよ。所詮人力ですから」
 赤と青のマフラーがそれぞれ、風にたなびき跡を残して。
 ――さあ、タイムリミットはあと3日。
 私はそれまでに、霊夢を海に連れて行ってあげられるだろうか――。






 ――博麗霊夢の誕生日まで、あと3日!





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 あとがき

   早苗ちゃんエンペラー&ホライゾンは適当にとある漫画からとってつけた。
 二人を外の世界で動かすのに足が必要だった。反省はしていない。