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レイサナ9(ふつかめ)

 ――大きな大きな鏡がある。
 私の主が、昔から持っていたものらしい。
 晩年はこれを眺め、もう一度、4人で映りたかったとことあるごとに漏らしていた。
 今、鏡に映るのは主に似せた私の姿。
 ずっと昔に――この鏡の前で。
 ポーズとか。持ち方とか。いろいろなものがおかしくないかと確認しながら私を弾いてくれた――愛しいあの人の姿。





 ぽつぽつと降り始めた雨。
 それによりまだら模様となったレンガ敷きに、早苗ちゃんエンペラーは滑り込んだ。
 そこにあるのは小さな教会。
 宗教的には相容れないけれど、大雨になりそうな空模様の中だ。
 雨が降り始めた時点で、着の身着のまま一張羅な私と霊夢はアウト。
 着替えも持っていないため、とりあえず近場の建物に逃げ込むことにしたのだ。
 それが、たまたま教会だったと言うだけのこと。
 しかし。
 「……ひと、住んでるでしょうか。ここ」
 「さあ……?」
 庭の草は伸び放題で、壁にヒビまで入っている。
 きっちり手入れが届いているとかいないとか、そう言う問題でなく。
 異教の神に祈りを捧げる、敬虔な信徒も住み込んでいるシスターもない。
 私には、そう言う場所にしか見えなかった。

 ――うん、一言で言い表すならば。廃墟でしょう。これは。





 幸運なことに、鍵はかかっていない。
 雨と寒さから逃れるために、私と霊夢は礼拝堂へと踏み込んでいく。
 「うわぁ」
 その惨状に目を覆いたくなった。
 かつては整然と整列していたはずの椅子は、面影もなく目茶苦茶に放置されて。
 信仰の対象であったはずのマリア像は、胴体から真っ二つ。泣き別れだ。

 ――早苗、私たち神はね。人の信仰がないと存在していられない。

 八坂様の言葉を思い出す。
 異教といえど神は神。
 幻想郷に行かなければ、守矢もこうなったのかもしれない。
 この教会の惨状が、信仰を失った姿だというのなら――。
 赤黒く汚れた絨毯の上に倒れた聖母の上半身は。
 その姿が、守矢の御神体と重なる。
 一歩違えば、私たちもこの道を辿ったのだ。
 それを思えば――少し、同情せずにはいられない。
 しかし、そんな私の感傷を。
 「誰か居ないの――!?」
 不遠慮に教会の奥へと踏み込んでいく霊夢が邪魔をしているんだけど。
 「――ほんとに、誰も住んでないのかしら」
 「……どうみても廃墟ですし」
 歩を進めて、霊夢の横に並ぶ。私たちの前には二つの道。
 礼拝堂のさらに奥、おそらくは居住空間へと通じている扉と。
 礼拝堂の右の方。方向的には中庭に出ることが出来るであろう扉。
 「雨宿りするだけなら問題ないと思いますが……一応確認しておきますか?」
 「そうね……負けた方が外ってことで」
 そう言って霊夢はじゃん、けん、と腕を振り。それに合わせて、私は手を開いて出した。
 「パー」
 「グー……負けた」
 ふ。これぞ奇跡ですよ。せっかくなので、私はこの中へ扉を選びます。
 「と、いうことで霊夢。中庭をお願いしますね」
 「しょうがないわね……」
 そう言って霊夢は、すたすたと中庭へ出て行ってしまった。
 さて、私は私で、探索を開始しないと。
 しかし、年月共に風雨にさらされた扉はとても脆く。ただ開けるだけで、崩れてしまいそうなほど。
 木で出来ているからか、劣化があまりにも速い。
 力強くドアノブを握ってしまえば、ぽきりと取れてしまいそうだ。
 壊してしまわないようにゆっくりと扉を開けて、すぐ側にあった部屋に入った。
 廊下はそれなりに長く、先にはリビングらしきものが見えたのだから。
 時間がかかりそうなら、近場からひとつひとつ見ていこう。
 人が居ないかの確認なのだし、小さな部屋ならちょっとドアを開けて、周りを見渡せば終わってしまう。
 なのに。
 「うわぁ……」
 生活感を遥か昔に捨ててきてしまった、朽ちた家具だけが残る部屋で。
 私は、それを見つけてしまう。
 私の全身がすっぽり写るほどの姿見と、その前に大切に立てかけられた小さなバイオリン。
 ひび割れてはいるものの、砕け散ってしまうことなく。
 長い年月に輝きを曇らせてしまうこともなく――。
 その鏡は、ふらふらと近づく私をその身いっぱいに映し出した。
 「……欲しいなあ、こんなの」
 うちにあるのなんて、洗面台の鏡と母の形見の鏡台だけ。
 私の身支度は鏡台でなんとかしているけれど、やっぱり女の子としては、こういうものに憧れもするのです。
 そうして、私はいつものとおり、鏡の前に立ったときの癖で、自分の髪をふわり巻き上げようとして――。
 肩に手を触れて気付く。
 髪を上げようと、右肩に触れた右手の下に――冷たい肉の感触がある。
 少し力を入れれば、無いかのように私の手は肩に触れ――その肉と重なり合うんだ。
 あまりに冷たい感触を、私の体の中に残して。
 ああ、ああ――神域に座し。幻想へと消えてから、そう怖ろしいものでもないと思っていたけど――。
 鏡から目が離せない。
 鏡の中で、私の背後で。
 私の肩に置かれた手の主が、音もなく姿を見せて――。
 風もないのに。綺麗な金色が。幽玄の髪が。私の髪をすり抜けて。
 小さい頃から言われていたはずだ。
 八坂様に、洩矢様に。
 それらは、見える人間にこそ依ってくると――。
 冷たい冷たい手が、私の顎をするりと撫でる。
 気付けばその顔はもう目の前で、その唇ももう目の前で。
 それが触れた、と私が認識する前に。
 気味の悪い――自然でなく、死人の冷たさが私に流れ込んで――。
 
 
 








 雨はまだ小雨だった。
 中庭に出た私を迎えたのは、好き勝手に伸びた雑草たちの群れ。
 「めんどくさいわねホント……」
 お払い棒で払って、手でかき分けて道無き道を進んでいく。
 「誰か――いないわよね。当然」
 ようく考えれば必然だ。
 近いうちに本降りになりそうなこの空模様。庭草に水をやる必要もない。
 第一こんな雨の日に、庭を整理するだろうか。いや、しない。
 私だってしない。きっと早苗だってしないだろう。本晴れでも掃除しかしないけど。
 「――帰りましょ。馬鹿らしい」
 そう言って踵を返し、お払い棒で周りの草を薙いで――。
 かつん、と何かに当たる。
 「?」
 なにかと思い、草をかき分けてみればそこには。
 「お墓……」
 石碑の上に十字架が立っていた。
 私のお払い棒は、この十字架のてっぺんに当たったらしい。
 「名前は……なによ、またアルファベットじゃない。えー……と……」
 がんばってみたがダメだった。
 魔理沙ならともかく、私はこの文字を読み解けない。
 「……はぁ」
 無駄な時間を過ごした。
 さて、早く中に戻って、早苗と身を寄せ合って寒さを凌ぐ方法でも考えないといけない。
 ――と。思ったのに。
 周囲を、不協和音が切り裂いた。
 「な、によこれ――」
 擬音とするならぎぎぎぎ、ががががとでも言うのか。
 とにかく耳障りな音が、教会の中から大音量で響き渡る。
 (……早苗が、なにかやらかしたのかしら)
 ああ、頭が痛くなってきた。早くこの音を止めないと、頭が割れちゃいそう。
 けれど、音はもっと大きく、更に激しく踊り始める。
 (ああもう、仕方ないわね!)
 走ろうとして、足に絡みつく草があまりにも鬱陶しくて。
 いいわ、どうせ誰も見てなんていない。
 一瞬でそう思考して、私は自分の体を重力から解き放った。
 それは、さながらに緑色の湖。
 草の先に地面が出来たかのように、私はその頭上ギリギリを走り抜けて早苗の後を追いかける。
 扉を開けて。
 教会に飛び込んで。
 扉を開けて。
 音はすぐ側の扉から。
 扉を開けて。
 そして、早苗はすぐに見つかった。
 その胸に、大切なものを抱くように。小さなバイオリンを抱いて――。
 「――まったく」
 巫女にくせに、なんで悪霊なんぞに魅入られるのかしら。
 さて。
 とりあえず、この不協和音を止めさせないといけない。
 弦を持ったまま、一心不乱に動き続ける早苗の手。
 その手から弦を取り上げようと近づいて――。
 そいつは、私の前に姿を見せた。
 早苗と私のあいだを遮るように。自分の至福を邪魔させないと。
 (――え?)
 けれど、問題はそんなところになかった。
 まず、なによりも早苗を解放することが急務であるはずなのに。
 (なんで……)
 私は、その幽霊少女を見てしまった瞬間、ひとつの疑問を抱いて。
 その疑問以外が、頭から抜け去ってしまった。
 「――なんでアンタが、ここにいるのよ!?」
 そいつは、私がよく知る相手だったからだ。
 私たちと同じように、紫の隙間で外に出てきた?
 違う、彼女にそんなことをする理由は何もない。
 目の前の少女は、今を以てなお幻想郷に居るはずなのだ。
 なのに、その顔はうり二つ。
 同じ霊が、この世界に二人存在する矛盾が私を混乱させる。
 そんな私のことなど気にせず、少女の冷たい手は私の頭に触れて――。
 私はすぐに意識を思考から浮上させて、まっすぐにその目を見据えるけれど。
 近づく瞳、近づく顔。近づく唇。
 止めようも、抗いようもなくその花びらが、私の花びらと触れ合った。
 脳に直接流れ込んでくる、死者の冷たさが頭痛を酷くする。
 早苗だけでなく、私まで魅入る腹づもりなのか。
 ――気に入らない。
 「離れなさい!」
 持っていたお払い棒を振るい、その軽い体をはね飛ばす。
 まったくもって気に入らない。
 何が気に入らないって、それはもうたくさん。
 今のキスも気に入らないし。
 今のキスから早苗の匂いがしたことも気に入らないし。
 なにより、私の早苗を私の許可無く好き勝手したことが、一番気に入らない。
 そうして私が、さて(早苗ごと)どうお仕置きしてやろうかと考える目前で、幽霊であるところの彼女は目を白黒させている。
 原因は分かっている。早苗は簡単に魅入れたのに、どうして私はそうできなかったのか。
 不思議で不思議で仕方ない。そんな顔だ。
 答えは簡単。私の能力である無重力のために決まっている。
 「教えてあげましょうか?」
 でも、そんな答えじゃあ身も蓋も無さ過ぎるから、私はこう言ってやることにした。
 いつの間にやら外は大雨。
 落ちる雷の音は遠く。ただ稲光と雨音だけが私たちに届く中で。

 「――私はね、早苗のものなの。もう幾夜も一緒に過ごして、私の中は早苗で埋まっちゃった。
 所有マークだってたくさんつけられたもの。
 早苗が居ないと生きていけないし、いく意味もないわ。そういう体にされたから――。
 早苗以外に、私の体も、心だって――好きにすることは出来ないわ」

 そうして。二回目の雷光が私に影を落とすと同時。
 私は少女を突き抜けて、早苗へと飛んでいた。
 少女は早苗を動かして私を迎撃しようとするけれど、ああ、もう全ての反応が遅すぎる。
 ――というかね? 早苗以外に私を好きに出来ないって、早苗の体を使えば好きにして良いって意味じゃないのよ?
 そんな思考をしつつも、取り出したるは一枚のありがたいお札。
 いつか、捕まえた幽霊を壷に閉じこめて真理沙と涼んだ時のアレと同じもの。
 それを、早苗が抱いたバイオリンに貼り付けた。
 「――知り合いに良い弾き手がいるわ。紹介してあげるから――。
 しばらく寝てなさい」
 そうして悲鳴もなく。
 金色の髪の跡だけを残して、少女は消えていった。
 ――さて、私の目の前で取り憑かれていた、この大タワケをどうしたものか。
 とりあえず、持たせておくのも怖いので、その腕の中からバイオリンを取り上げる。
 幾年もここに放置されていたにしては、保存状態はとてもいい。
 憑喪神が憑くくらいの一品だ。大切にされていたのだろう。
 おそらくは中庭の、あの墓に眠る人から。
 「……霊夢?」
 「――――起きたのね……」
 正気に戻った早苗を、冷ややかな目で眺める。
 まったく、酷い目にあった。
 言いたい文句はいくらでも湧いてくるけど。
 やっぱり、一番は。
 「れ、霊夢!?」
 有無を言わさず、早苗の膝の上に腰を下ろした。
 文句なんて言わせない。
 さっきまで、操られていたとはいえ――私以外のものを大切そうに胸に抱いていた罰だ。
 不機嫌なまま、背中から早苗の胸に沈み込む私を、早苗の手が抱いていく。
 そう、これでいいのだ。これが正しい在り方。
 早苗が幸せそうな顔で抱いて良いのは、私だけなんだから。

 稲光が私たちを照らす。
 重なり合った影が、一瞬だけ床に映って。
 雨の音を聞きながら、止むまでこうして温もり合うのも悪くない。
 
 
 
 
 ――お墓の前で手を合わせる。
 赤く染まった夕方の空。さっきまでの大泣きが嘘のように、雨雲は去っていった。
 「霊夢、それ、持っていくんですか?」
 少しだけ雨宿りさせて貰ったお礼に、少しだけお墓を綺麗にして。私たちは旅路に戻る。
 変わったところは一つだけ。霊夢の背中には、小さめのバイオリンケースが背負われて。
 聞いた私に、霊夢は。
 「そうね……返しに行くのよ。新しい持ち主に」
 そんな、意味の分からない答えを返してくれた。
 墓碑に刻まれた名前を読んだ瞬間、霊夢は何かを――半分くらい納得していたけど。
 私には、何がなんだかさっぱり分からない。
 まあ、私が気にする事でもないのかも知れないし。
 そんなことより、ここから海までの道を考えた方が良いかもしれない。
 思わぬ雨に、数時間もの足止めを食ってしまった。
 山一つ越えれば海辺に出られるのだけど――。



 そんなことを考えながら、少女たちは行ってしまった。
 後に残るのは一つの墓標。
 生き別れた家族との再会を願い、まだ、家族と一緒に住んでいたころの想い出を――。
 妹たちに弾いて聞かせたバイオリンと、みんなで使っていた姿見を、最後まで手放せなかった女性の墓。
 その願いは叶いもせず。
 ただ、体は東の果ての島国で土に還った。
 死ぬ直前まで。妹たちが幸せであるようにと想って。

 東風谷早苗は、一度だけ振り返る。
 その名前に、どんな意味があったのか。
 やはりそれだけが気になったのだろう。
 方々に伸びた雑草に囲まれて。
 忘れられるように、一人の女性が眠っている。
 刻まれた名は一つ――。
 

 Lunasa Prismriver




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 あとがき

   どうせだから外の世界でしか出来ないネタを全部やろうとした結果がこれだよ!