左のフレームが表示されない方は こちらを押してください。
るーみあきゅー2 |
――ルーミア―― さくり、と草を踏みしめる。 あれから私は、ただひたすらにさ迷った。だって。 自分がどこへ行けばいいのか、もうさっぱり分からない。 あっきゅんのところに戻ることもしたくないし、家に帰る気分でもない。 あの時。 「――また、帰って来ますから」 その言葉が、私を正気に引き戻した。 私があっきゅんを食べようとした理由は簡単だ。 おなかがすいたからではなく、好きだから、永遠に私のものにしたかっただけ。 なのに。 生まれ変わって帰ってくるんだ。 あの体をいくら食べようが、あっきゅんは私のものにはなってくれないんだ。 それに、帰ってくるのは100年後。 一つになってもいないのに。私はそんなにも長い間、あっきゅんのいない孤独には耐えられない。 その瞬間、私の頭はクールダウン。あれだけうるさかった食欲も、ぱたりと止んでしまい――。 ただ残された現実は、自分が最も怖れていたこと。 息も荒く、苦痛に顔を歪ませてなお。目を閉じて私を受け入れた彼女を見てしまったから。 あの時、私の頬を伝ったのは涙。 我慢できずに溢れてしまった一粒の涙だった。 「う……」 そして、それはまた溢れる。あの時は耐えたのに。一粒で止められたのに。 途端に足から力が抜けて、私は地面に膝をついて。 「うあぁ……」 一度犯した過ちを悔やんだ涙は、もう止まらない。 どうして私は、こんなにも弱かったのだろう。 大好きで、大切で、暖かい――そんなにも、惹かれていたくせに。 「ああ! うああ! なんで、なんでぇ!」 どうして私は、自分一人を御することすらできなかったのか。 それが悔しくて悔しくて仕方ない。 私はそのまま両の手を振り上げて、その憤りを地面に叩きつけた。 ただただ全力で、感情に任せるままに。 けれど、怒りをぶつける度に、それは少しずつ虚しさと後悔だけに変わっていった。 もう、ぶつけるものもぶつける対象すらもない。 もう、私に出来ることははただ体を丸めて、 「う、うう……ぅ」 泣きじゃくることしかなくなった。 でも。 ぽん、と丸めた背中に手が触れる。 前から抱き締めるように、誰かが腕を回してくれる。 顔をあげれば、そこには――。 「どうしたの、ルーミア」 みんな探してたんだよ、と覗き込む橙がいた。 「……橙」 私の言葉に、橙はなあに?と首を傾げて。 ――その仕草は、あまりにもいつもと変わらなくて。 「……ごめん、少しだけ……」 今の私だって、平気で受け入れてくれる気がしたから。 甘えても、いいかな。 そのまま、橙の顔に胸を埋める。 この悲しみを追い出すために。せめて友達の前では、いつもの私でいられるように。 ――橙―― 「……!…………!」 「ル、ルーミア!?」 再会した途端、ルーミアは私の胸に飛び込んできた。 私たちが、ルーミアの家で彼女を見失ってから半刻。探しに探してようやく見つけたその姿は、とても弱々しくて。 「何か――」 声を押し殺して泣くその背中に、何かあったの、と聞こうとした。その言葉を飲み込んだ。 私はどうだっただろう。 チルノと喧嘩して負けて、悔しくて悔しくて情けなくて泣きたくなって。 そんな時泣き付いた藍様は、私に何があったのか聞いてきただろうか。 (――ううん) 何も聞かずに、ただ私が落ち着くまで、暖かい胸を貸してくれた。 そう、確かこうやって。 そうして私は、優しく優しく黒いベストの背中を撫でる。 私に胸を貸してる時に、藍様はこうやって私を慰めてくれたから。 こうやって撫でられたら、とても安心できたことを覚えてるから。 背中を撫でる手が増える。 いつの間にか、チルノと大妖精がそこにいた。 何か聞いてしまいそうなチルノに、大妖精は口元に指を立てながら。 チルノは納得いかない顔で、でもルーミアの背を撫で続けて。 がさりという音と共に、森の木々の向こうからミスティアとフランが走ってくる。 空からは、広範囲を捜索するために虫たちを駆りだしていたリグル。 私がルーミアを見つけたのを蛍から聞いて、飛んできたに違いない。 その手はどんどん増えていく。 泣くことに夢中で、回りの状況なんて分からないだろうルーミアに、自分達はここにいると教えるように。 六人の手でいっぱいになった背中からあふれて、頭を撫でたりもしながら――ただ、誰も何も言わずに。 私たちはひたすらに、ルーミアが泣き止むのを待っていた。 ――フランドール―― 「――大好きな人を、傷付けちゃった」 ルーミアは、私たちにそう言った。 「とても大切な人を、私がはじめて――好きになった人を。 私はよりにもよって……」 食べようとしたんだ、とルーミアは自嘲する。 私たちには、それが誰かは分からないけれど。 それは許されないことだとルーミア自身が分かってるから、自責の念は消えたりしない。 このままだとルーミアは、その傷を、後悔を一生抱えて生きていくことになる。 「私は……どうすればいいのかな」 そう言いながらルーミアは笑うけれど、その笑みに力なんてなかった。 あの日、チルノ達が迎えに来たあの雨の日から、ルーミアはずっと笑っていたのに。 これからずっとこうなのか。 ルーミアはもう心から笑えずに、その奥に罪悪感を宿したまま――。 (そんなの、ダメ) だから考える。 私はルーミアの友達だから、ルーミアには笑顔でいて欲しいから。 それが私の勝手だとしても、ルーミアに笑顔を取り戻す方法を。 (好きな人を……ね) その時を想像してみる。 前に、パチュリーが言っていた。困ったら、相手のつもりになって考えなさいって。 私だったら、どういう状況になるだろう。 チルノの寝床に侵入して、嫌がるチルノを押し付け無理矢理血を吸った。 そういうことだろうか。 ……顔を真っ赤にして、私に押さえ付けられて動けなくて。 目尻に涙を浮かべて恐怖に耐えながら、それでも強がって私を睨みつけるチルノ……? 「うっわぁ、それとっても素敵」 「い、いきなり何言ってるのフラン」 すかさずチルノからツッコミが入る。いけないいけない、もしかして、声に出てたのかな。 「すっごい顔してたよ今……」 「何を考えてたか、想像に容易いなあ」 後を追うように、大妖精とリグルがそろってため息をついて。 でも、もし私がそんなことをしでかしてしまったら。 「――謝れば、いいんじゃないかな」 私の言葉に、ルーミアはえ、と顔を上げて。 「謝る……」 そう呟いた。 そう、謝ればいいんだ。自分が悪いことをしてしまった、と分かっているのなら。 「そっか……謝りにいけばいいのかー」 ほら、さっきまであんなにも暗かったのに、ルーミアはもう笑っている。 「そうそう」 難しく考える必要はないし、私たちは考えるより動く方が似合う。 ルーミア本人が思いつかなかっただけで、指針を与えればすぐに元気になるんだ。 きっと、私のところへ来たときもこんな感じだったんだろう。 深く考えずに、ただひたすらに突っ走って。 そうと決まれば、ルーミアは早い。 「私、あっきゅんのところ行ってくる!」 それだけ残して、彼女はまだ暗い空へと飛んでいった。 その、ルーミアの行った暗い空から。 「あ、鶏の声だ」 遠くから響く声がある。 「フラン、傘、傘」 リグルに言われるままに、私は日傘を広げて。 さあ、みんなでルーミアの帰りを待っていよう。 ――ルーミア―― 「……あれ?」 夜が明けてしばらくしてから、私はようやく人里へ到着した。 けれど。 「……なにか、あったのかな」 入り口から除く人里は、傍目から見てもめちゃくちゃになっていた。 郷の中には半壊した家と、忙しなく動く人たちだけが見える。 とりあえず、入り口に立ってる2人の人に聞いてみよう。 けど、どうしてだろう。あの人たち、武装してる。昨日まで、人里にこんなに物々しい雰囲気は無かったのに。 それに、彼らは 「ねー、なにかあったの?」 という私の問いかけに――。 「――妖怪」 一瞬だけ、嫌悪の目を向けてから――。 「すまんね嬢ちゃん、今ちょっと、妖怪は立ち入り禁止なんだ。 人里の安全が確保されたら、慧音さまが封鎖をやめてくれると思うから」 そう、説明してくれた。 って。 「入れないの!?」 それは困る。私はあっきゅんに謝りに来たっていうのに、ここが通れないとお話にもならない。 「昨日の夜、ちょっと妖怪が、な。悪さしたもんで。 ちいとの間、ここは妖怪に対してぴりぴりしてると思う。 嬢ちゃんのためにも言うが、正直、入らん方が身のためだ」 人里の守衛の人はそう言った。 ――昨日の夜。妖怪が。 私にはその言葉が、昨日の夜、私がに聞こえたんだ。 「……あっきゅん!」 そうだ、私は昨日の夜、あっきゅんに噛み付いた。 我慢が出来なくなって、こっそり真夜中に人里に侵入して。 そのせいだろうか。人里の守護者は妖怪には容赦がない。 私があんなことをしでかしてしまったおかげで――人里はこんな厳戒態勢を敷いたのか。 だとしたら、早く謝らないと。 あっきゅんが許してくれれば、きっと人里だって元に戻るはずだから。 そう考えた瞬間、私は地面を蹴って守衛二人を飛び越える。 今、人里の中に入ればどうなるかなんて考えもせずに――。 こうして待ってなんていられない、早く、早く会わないと――それだけを考えて。 「あっきゅん!」 そうして走り出す私の背後、守衛の二人はようやく私に反応して。 「お、おい、今入ると――!」 そうして走る私の前に、立ち塞がる影が一つ。 ――稗田阿求―― なんだか、外が騒々しい。 家で史料の編纂をしていた私の耳に届いたのは、様々な歓声だった。 (……お祭りとかの日では、無かったと思うのですが) 何が起こっているのだろう。昨日、あんなことがあったばかりなのに。 ――少しだけ、様子を見てこようと思い立って。ことりと机に筆を――。 (――っ!!) ちょっと筆を置くだけで、肩に痛みが走る。 昨夜噛まれた右肩は、軟膏を塗って包帯を巻いてあるとはいえ――しばらく治らないだろう。 本当はこうしてものを書くことすら、やめておいた方が良いはずなのだ。 でも、これをやめてしまったら、なんだか私が私じゃないような気がして。 そんなことを思考する間にも、外の喧騒は大きくなっていく。 (ちょっとだけ、ちょっとだけ) 部屋を出て、縁側を巡って玄関へ。 そのまま草履を履いて外に出れば――。 「ルー……!?」 目に入ったのは、色とりどりの弾幕戦。人里の上空、適当に弾が流れないような大空の中で、ルーミアが踊っていた。 (ど、どうしてルーミアが……) 人里は昨日の夜、妖怪の大群に襲撃された。ルーミアがいなくなった少し後の話だ。 慧音様の見立てによると、まだなりかけの妖怪で、故に群れているらしいのだが。 ――犠牲者は、出てしまったから。安全が確保できるまで、人里への妖怪の立ち入りを禁止したはず。 ――知らずに、入って来てしまっただろうか? 一瞬の疑問。けれど、私はすぐにそれを思考の外へと追い出す。 変わりの思考は一つ。 ルーミアを止めないと。 だってほら。さっきからずっとルーミアの弾は慧音様に届いていない。 弾幕を破られたと見て、ルーミアはまた新しいスペルを取り出すけれど。 ――終符『幻想天皇』―― 変わりに響くのは、迎え撃つ慧音様のスペルだった。 幾条もの閃光がルーミアを貫いて、焦がして、たたき落として。 ぴちゅうん、というスペルブレイクの音と共に、ルーミアはまた地面に激突する。 とてもじゃないけれど相手にもなっていない、このままじゃ負けてしまう――。 「ルー……」 だけど、ダメだった。 かちかちと、恐怖で歯がなる。 人外の戦いは、息を呑む美しさに満ち溢れている――。 他ならない私が、縁起に記した言葉。それをまさに象徴するかのように。 ……入って、いけない。 地面に落ちた流れ弾だけで、広場に小さなクレーターが出来ている。 あそこは、ただの人間が入って良い場所じゃない。 人間の中でも一部の者たちのみが立ち入って良い領域。カードも持たず、戦う術も持たない稗田阿求が乱入してどうなる。 あそこで弾ける光のカケラ一つでも、私を軽く殺すには充分すぎる。 もしも、私が流れ弾に当たってしまったら。 ――想像、してしまった。 のろまな私は飛んでくる弾を避けきれず――文字通り、はじける。 頭の中に、浮かんだ願望は一つだけ。 「――死にたくない」 私は、あそこに。ルーミアのところにはいけない。 「あ、あ、あ――」 今度は青い光が迸る。 外の世界、昭和という時代に降り注いだ町を焼き尽くした炎の雨の歴史をカード化した。 その炎がルーミアを舐めていく。 さらに間髪入れず、大御神の光芒がルーミアを包んで――。 「……アマテラス……や、やめて……」 小さく呟く私の声をかき消すように、見物する群衆から歓声が上がる。 「やめて、ください……」 ルーミアは再び大地に転がる。ボロ雑巾のように。陸に上がった海月のように。 昨夜、幾匹もの妖怪に襲われたとはいえ今は妖怪1匹が相手。 「やめて……」 しかも、相手をしているのは守護者、上白沢慧音。 それは、安心して見守っていられるというものだし。 (……昨日、何人か) 逃げ切れずに、食べられてしまった人が居たから。 ……やっちまえ、と。怒号が聞こえるのは、やはり気のせいではないのだろう。 でも、 「ル……ミ、ア……」 助けに行こうと思っても、どうしても足は動いてくれなかった。 怖い、嫌だ。当たったら死ぬ、痛い。 肩からズキリと痛みが走る。 そうだ、昨日私は確かに一度死ぬ覚悟をした。 あの時、ルーミアに食べられても良いと確かに思った。 だったらいいじゃないか。もう一度すればいい、死を覚悟して、あの弾の雨に突っ込めばいい。 (……死にたく、ない) ――けれど私は、昨日の覚悟も、心を繋いだ妖怪も。何もかも反故にして己の保身に走ってしまった。 (だって、死ねない) まだ、やることはいっぱいある。 縁起だって、一応の完成は見たけれど。これから幻想郷はどう変わっていくかが分からない。 私はそれが見たい。 死にたくない、死にたくない、死にたくない。 ……私は、稗田阿求を無くしたくない。 どうしてだろう。これまでは、転生できるから死には頓着しなかったのに。 この代にかぎって、私は何故こんなにも己に固執するんだろう。 (ルー……ミ、ア) 目からぼたぼたと涙が落ちる。 おねがいやめて、もうやめてと叫ぶ続ける私の脳は、いったい誰に言っているのか。 ルーミア? 私? 慧音様? それでも、視線だけはルーミアから離さない。 産霊「ファーストピラミッド」 国符「三種の神器 剣」 野符「GHQクライシス」 国符「三種の神器 玉」 始符「エフェメラリティ137」 国体「三種の神器 郷」 倭符「邪馬台の国」 葵符「水戸の光圀」 未来「高天原」――。 それでも、私の目の前でルーミアは撃ち抜かれていった。 一枚ずつ、順番に順番に。 そしてついに、地面に落ちても――立ち上がることはしなくなった。 「うあ……」 けれど、それに走り寄ることもしない。 現在、人里では妖怪に対する厳戒態勢を敷きつつある。 今、人里で妖怪に駆け寄るというのがどういうことか――。 妖怪に味方するということが、今の人里でどういう意味を持つのか。 それをやってしまえば、稗田は人里に住まわせて貰えなくなるだろう。 (う……あ) もう、涙は止まらない。 何をしている、稗田阿求。好きな人があそこで倒れている。ルーミアは今こそ私を待っているというのに。 行けない。私は、人里を追い出されて生きていくことなんて――。 「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 そうして、私は走った。 目を閉じて、何も見ず。そうすれば、何も気にする必要はないと思いながら――。 ――後ろを向いて、何もかもに背を向けて――自分の家に転がり込んだ。 嗅ぎ慣れた土間の匂いの中で。未だにぼたぼたと、とめどない涙は土に浸み込ませて。 そう、これでいい。これで正しい。 思い込むんです。稗田阿求。 だって私は人間。決して強くない、弱い人間。 人里でしか生きていけない。人里しか生きる場所がない、だから。 「正しい、私は正しい、絶対に正しい、死にたくない……」 全てを忘れてしまえ。無かったことにしてしまえ。 私は何も見なかった。今日の弾幕ごっこも、倒れ伏したルーミアも見なかった! そう! 私は、何も――見ていない。 でも、その音はまた私に届く。 弾の音が、スペルカードを宣言する音が、ルーミアが地面に激突する音が。 戦う二人の音は――嫌でも部屋の私の耳に入ってくる。 「……もう、やめて……」 そうして私はまた、耳を塞いで静かに泣くのだ。 慧音様にあそこまでこっぴどくやられたにも関わらず、ルーミアはまだ人里にやってくる。 頻度は2、3日に一回。数え方が正しいなら、初日を含めてこれで五回目。 「どうして……?」 私は、あなたを見捨てて逃げたのに。どうしてあなたはそんなに必死に私に会いに来るの? それに。 ルーミアは会いに来てくれているというのに、私はこんなところで何をしているの? それでも、あの弾の雨を。あの恐怖を思い出せば足が震える。 人里の門から追い出され、私を忌む瞳で見つめる、人里の人たちも……。 そんな臆病な私を叱るように、右肩の傷は痛むけれど。 「無理です……やっぱり無理……」 そうしてまた、涙がぽたぽたとこぼれおちて。 書きかけの和紙の墨を滲ませていった。 稗田阿求はただ一人、自らの部屋で涙する。 慰めてくれる者もおらず、ただ一人で涙する。 その光景を、油の明かりに引かれてやってきた、一羽の蝶だけが見ていた。 ――リグル―― そして、蝶は飛んでいく。 道を飛んで、森を飛んで、小さな絶壁にある洞窟のすぐ側にある木の上で、蝶は少女を発見した。 緑色の髪をした虫の王は、いつものように水色の髪の妖精と喋っている。 「でもさ、チルノ。 ルーミアはそれを聞き入れないと思うよ?」 「聞き入れなくても分からせるわ。だって、あたいもう――」 そんな言葉が聞こえるけれど、蝶には何を喋っているのか分からない。 だから、何も気にせずふわりと少女の側に舞い降りて。 「――どうしたの?」 リグルは蝶に気が付いた。 言葉なんていらない。ただ、触角を重ねればそれで事足りる。 そうして、蝶は自らが見たことの全てを伝え終わって。 「ありがとう、助かったよ」 リグルのその言葉に、またどこかへと飛んでいく。 「――あいつ、なんて言ってたの?」 リグルに問うのは、唯一話の分からなかったチルノだ。 虫同士の交信に、妖精の入る余地は無いとはいえ、やはり話は気になるのだろう。 「ごめん、チルノ。話は後」 けれど、リグルはそれを遮る。蝶が見たもの。それを自分に伝えられたって、どうすることも出来ないから。 どうにかしてあげられる人に、助けを求めなければいけない。 「どこか行くの?」 それを雰囲気で察したのか、チルノはリグルに問いかける。 「チルノとミスティアが会ったっていう人のところ。 大丈夫、ルーミアが帰るまでには帰るよ」 だから、ここでルーミアを待っていて、とリグルは言う。 「わかった、待ってる。 あれ、でもあたいとみすちーが会ったことのある……? げ、もしかしてアイツ――」 そんなチルノを見ながら、彼女は空へ飛んだ。 向かうのは遥か先。死を越えた向こう側だ。 ――ルーミア―― 「――ん」 ベッドから体を起こして、私は伸びをした。 「あちちちち」 途端、体に痛みが走る。 試しとばかりに自分の体をためつすがめつしてみれば、どこもかしこも包帯だらけ。 「……ミイラみたい」 これで通算五回目の敗北。私が、あっきゅんを食べようとした新月の夜からだいたい12日が経っている。 ――あの日から。何度挑んだだろう。何度、稗田阿求を求めただろう。 けれど、そのたびにワーハクタクが邪魔をして。毎回ボロボロになってはチルノ達の世話になっていた。 だから、ここはどこかと言えば。 この見覚えのある、緑色のファンシーなお布団は、ベッド脇の女の子らしい小物入れや小箪笥は。 ――うん、大妖精が住処にしてる小さな洞窟だ。 ベッドから起きあがって、痛む体に耐えて洞窟の出口を目指す。 歩くしかないから痛むけど、ほら、やっぱり。 そうして洞窟の外に出た私を、みんなが待っていた。 「……ルーミア」 最初に口を開いたのはチルノ。 そのままチルノは私に近付いて、私を押さえ付けるように抱き締めた。 「……チルノ?」 「ねぇ、ルーミア。 その傷が少しだけ良くなったら、また人里に行くの?」 私に抱きついたまま、チルノは言う。 「……もう、やめようルーミア。 あたいたちはもう、ルーミアの手当てなんてしたくない」 その言葉と一緒に、私の肩に水が落ちる。 お空は晴れ。雲ひとつ無いのに、私のベストの肩は濡れていく。 「泣いてるの……? チルノ」 私の言葉に返事はなく、チルノは私に抱きついたまま。 「もうやだ! もうそんな傷だらけのルーミアは見たくない! 毎日増えていく絆創膏だって見たくない! ねぇ、もういいじゃない。がんばるのはもうやめて、ゆっくり傷を治そう! ねぇ!」 そんな叫びを返してきた。 ……泣かせたのは、私だ。 もしチルノが無理をして、ボロボロになって帰ってきて、私が手当てをして――。 それでもチルノは諦めず、毎日毎日ボロボロで帰ってくる。 耐えられるだろうか。友達が毎日、その体を傷つけて帰ってくることに。 ゆっくり治すこともせず、自分の体をいじめ続けることに。 ――耐えられるはずがない。そんなの、殴ってでも止めさせる。 だけど。 「……ごめん」 「……どうして!? あいつがそんなに大切!? ルーミアがここまで頑張ってるのに、助けにすらこないあいつがそんなに大事!?」 私の言葉に、チルノは怒って怒鳴るけど。 「……好きなんだよ。あっきゅんのこと」 だから、ここだけは誤魔化せない。 これだけは、やめるわけにはいかないんだ。 「あたい達だって、ルーミアのこと好きなのに!」 「でも、チルノ。 チルノが私に言う好きと、フランに言う好きは違うよね」 「――!」 ああ――きっと今、私はもの凄くずるいことを言ったんだ。 「私だって好きだよ。みんなみんな大好きだよ。 でも、この好きと、あっきゅんに向いた好きはまた別なの」 だから私は、あっきゅんのためなら何度だって無茶できるんだ。 きっと、みんなおんなじだ。 リグルだって、風見幽香が同じ状況になれば。 橙だって、八雲藍が同じ状況になれば、私と同じことをするだろう。 だからこそ。 チルノがずるずると、私の体からずり落ちる。 分かってしまうから。チルノだって、フランの危機には自分なんて捨てて駆けつけられるから。 抱きつきから、しがみつきに変わった中で。 「ずるいよルーミア……そんなこと言われたら、止められるわけないじゃない……」 喉の奥から、そう絞り出しながら――。 チルノは完全に、私の体から離れた。 「ごめんね……ありがとう」 変わりに一度だけ、チルノをぎゅっと抱き締めた。 私の我が儘を許してくれる、みんなへのお礼として。 ――リグル―― そうして、チルノはルーミアから離れた。 元より、止められるはずはなかったんだ。 私たちがいくら言おうが、ルーミアは稗田阿求に会おうとするだろう。 みんな、わかっていたはずのこと。それでも言わずにはいられなかった。 ルーミアのことを思えば、その傷の痛みから解放してあげたかった。 手当てしてるときから思っていた。増えていく生傷、深くなる切り傷。 その傷を見ながら、その痛々しさに自分たちの心まで抉られるから――。 だけど、リグル・ナイトバグは知っている。 そう、リグル・ナイトバグだけが知っている。 一匹の蝶々が教えてくれたこと。 助けに来ない稗田阿求が、どれだけルーミアを想い、それが故に罪悪感に潰されそうになっているのか。 放っておけば、彼女の心はどれだけ深い傷を負ってしまうのかも。 だから。 「ルーミア」 リグルは、誰よりもルーミアのために。 「私たちはもう止めない。私たちができる全身全霊で、ルーミアを助ける。 そのかわり」 そして、里の中で独り、ルーミアを待ち続ける稗田阿求のために。 「諦めることだけは許さない。 ルーミアがもし痛みに負けて、人里に入ることもなにもかも諦めたりしたら……一生許さないから」 その呪いを、ルーミアにかけた。 いくら傷つこうが、決して退くことのできなくなる呪いを。 ルーミアが傷つけば、自分たちは苦しくなる。傷だらけのルーミアをみて、彼女らの心は少しだけささくれ立つ。 しかし、そんな小さなささくれよりも――今、目前にいる友達が体に負う傷の方が遥かに痛いと知っているから。 彼女がその痛みに耐える限り、自分もそれくらいには耐えてやろうと――。 ルーミアは、黙って手を差し出す。彼女らの中心、円の中心に。 包帯が巻かれたその手に、リグル自分の手を重ねて。 大妖精は、下からルーミアの手を包み込んで。 橙もフランもミスティアも、思い思いに包み込む。 最後にチルノが泣きながら――その手を上にのせた。 完成したのは、がっちりと六人でルーミアの手を握り込んだ、暖かい手の塊。 誰も、何も言わない。 言葉なんてなくても分かっている。 負けて良いよ、と。 わたしたちがいるから、と。 いくらボロボロになっても。 私たちが助けてあげるから。 小さいけれど、私たちが一緒に痛んであげるから。 だから、絶対に勝ってよ――と。 ――ルーミア―― そうして私は、また人里の土を踏む。 月も昇らない逢魔が時。赤い夕日を背景に、仁王立ちする上白沢を眺めながら。 「――――」 「――――」 もはやお互い一言もない。 遠巻きに見るのは人里の人々。ざっと見渡しては見るけど、やっぱりあっきゅんの姿はない。 す、と上白沢の懐から出されるカードの束。 あっちは20枚以上あるのに、私の手には5枚しかない。 相変わらず状況は絶対不利。 だけど、退かない。私は何度だって負けられるけど。だからって、負けていい理由になりはしない。 それに、負ければ負けるほど、私から遠ざかるものがあるんだから。 私の手の中にあるカード。片手で事足りてしまう、たった五枚のカードたち。 それを広げて突きつけて、宣言するのはただ一言。 ――黄昏の中を、不吉な声を響かせて帰る鴉の姿。 夜が降りてくる姿は、さながら太陽よりも大きな鴉が翼を広げたようにも見えて。 夕闇と宵闇の境を、漆黒の闇が埋めていく。 ――さあ、時は来た。楽しい楽しい夜の始まりに鬨の声を上げろ。 行こう。ナイトバード。 ――稗田阿求―― そうしてまた、弾幕の音が聞こえたから。 私は布団を被って、自分を外部から遮断した。 まだ夕方くらいだったと思うけれど、暖かい布団と心地よい闇の中。こうしていれば、勝手に眠ることだって出来る。 全てを忘れて、優しい夢に旅立てる……はずだったのに。 弾が大地を抉って、振動を私に伝えてくる。 逃げても逃げても、それは私を追ってくる。 外からの音なら、耳栓でも使えば良かったんだ。現に、今私はそうしている。 なのに、耳に音は響く。 ――ねえあっきゅん、おかわりちょうだい! 私の記憶の奥底から、その声は私を苛み続ける。 目を閉じれば、一緒にご飯を食べたこと、一緒におだんごを食べたこと。 そして、あの夜の綺麗な金髪の顔が――。 ――忘れろ、忘れたい、忘れなきゃ。 忘れてしまえば、私は幸せに暮らすことが出来る。 でも、忘れない。 私は誰だったか忘れたのか。 幻想郷の全てを記録する、阿礼乙女だ。 阿礼乙女とは何だ。幻想郷の全てを記録するために、とある能力を持った――。 「うああ……」 そうだ。いくら忘れろと念じても、私自身が許さない。 私が望んだ。阿求でない私が。何もかもを記憶し、忘却しない能力が欲しいと――。 だから、私がルーミアと過ごした時間はいつまでも綺麗なまま私の中に在り続ける。 そしてその綺麗さが、私をいつまでも苦しめる――。 私は逃げた。ルーミアと慧音様が戦ったあの日、全てを見なかったことにしたはずなんだ。 けど。私は何処まで行っても稗田阿求だから。 「忘れ……られない……」 見ていないことになんて、最初から出来はしなかったのだ。 「――まったく、見ていられませんね」 そうして突然に、私の布団ははぎ取られた。 暖かい闇は去っていって、変わりに得られたのは厳しい声。 見れば私の布団のすぐ側に、その人物が立っている。 「……どうして……」 この人が、ここにいるのか。 次に会うのは、私が死んだ後だと言っていたはずなのに。 いつもの服装に、いつのも手勺を口元に構えながら。 片手に私の布団を持って、四季映姫・ヤマザナドゥが立っていた。 「どうしてもこうしてもない。 私がこうして現世に降り立つ用件など決まっています」 びし、と私に勺を突きつける閻魔様。 「――あなたは死後、閻魔庁において仕事が与えられる。 稗田の阿礼乙女に、死後の裁きは必要ない。それが私の見解、故に。 貴方の罪はその都度、現世で裁くことにしただけです」 ふ、と息をついた彼女は、私に向けた勺を回しながら。 「――さて、稗田阿求。己の罪が分かりますか」 そう、私に問いかけた。 ――私の、罪。 このタイミングで私のもとを訪れたということは、犯したのはつい最近。 つい最近、私がやってしまったことと言えば。 「――っ!」 「言いなさい。貴方自身が自覚せねば意味など無い」 口ごもる私に、言葉での容赦ない追い打ちが来る。 「……私が、ルーミアを見捨てたことですか……?」 しかし、閻魔様は首を振る。 「私が、ルーミアに食べられようとしたことですか……!?」 閻魔様は更に首を振る。 ――わからない。 私は、自分が知らぬ間にどんな罪を犯したのか分からない。 「教えましょう、稗田阿求」 そうして、自分の罪を探す私に彼女の手から差し出されるものは。 「……浄頗梨の……」 一枚の鏡。小さな手鏡。死者の生前の行いを全て映し出す、閻魔の所有物の一つ。 「本来、このような使い方をするものではないのですが。 貴方が自分の罪を知りたいと言うのなら、それを覗き込むと良いでしょう。 ただし――」 閻魔様は、その先を言わなかった。ただじっと、私を眺めて待っている。 稗田阿求が鏡を覗くのを――。 これを覗いてしまえば、私は楽になれるのだろうか。 私を苛むものがその罪であるのなら、私はこの断罪を通して救われるのだろうか。 油の明かりを、きらり鏡に反射させてみて。 天井にぽっかり、反射した光が月のように浮かんだ。 そのまま、天井の光を見据えたまま、手だけを動かしていく。 私が覗き込むのではない。天から、私を移すのだ。 ゆっくりと、私の手と白銀の輝きが天井の月を呑んでいく。 そうして。 頭が映り。 瞳が映り。 唇が映り。 仰ぎ見る私が全て、まあるい銀盤に収まって――。 (――あれ?) スペルカードは宣言される。 (どうして――) 聞こえる声はただ一つ。 私の疑問も同じく一つ。 どうして、鏡に映った私は、あんなに体中包帯だらけで痛々しいんだろう? ――審判「浄頗梨審判 -稗田阿求-」―― 気が付けば、目の前に私がいた。 全身包帯にまみれた私。 頭に、腕に、足に、あらゆる場所を包帯で覆っている。 けれど。 (首筋に包帯が――) ない。 私はある。右の首から肩にかけて、ルーミアの歯形がくっきり残っている。 何とか血は止まったけど、相当深い傷だから。かなり厚く、しっかり巻いた包帯が――。 ――私は、何も見ていない。 「――え?」 声が聞こえた。私の声が。でも、私は声を発していない。だったら喋ったのは――。 「今喋ったのは――あな」 た、と聞こうとして。 私の腕が深く深く切り裂かれた。 「――――――ッ!!?」 あまりの激痛に声が出ない。 いったい何が、と起きたことを確かめる暇もなく。 ――私は、何も聞いていない。 再び響く声に、今度は足が切り裂かれる。 (――い、た、い――!) 足から流れる血と、腕から流れる血を貯めた血尾溜まりに膝をついた。 この足では立っていられないくて、なんとか手をついたけど。 手にも傷があるものだから――。 ――ルーミアなんて、しらない―― がつん、と。頭を突き抜ける衝撃。 それはあまりにも強すぎて、なんとか体勢はたて直すけれど、目の前が赤く染まっていく。 (頭からも、血が――) ――ルーミアなんて―― そうして、私の頭は再び何かに殴られて。ようやく私は、己の罪を理解した。 「――どうでしたか」 いつのまにか、浄頗梨審判は終わっていたらしい。 声をかけてくる閻魔様。手鏡は私の手から離れて、くるくるぱしんと彼女の手に帰っていった。 「――私の、罪、は」 痛かった。体中を傷つけられた。あれは。あの、包帯をぐるぐるまきにした私は――。 確かめてみても、包帯は首にしかない。あんなに痛かった傷は全て消えている。 「自分の心に、嘘偽りを並び立てたことですか……?」 私の言葉に、閻魔様は薄く目を開いて。 「その通りです」 私の言葉を、悲しそうに肯定した。 「――あの姿は、私が自分を騙すために傷つけた、自分自身ですか……?」 「――――」 沈黙は肯定だ。 最後の一言。ルーミアなんて知らない。 言葉にだって、冗談でも出したくない言葉。私はしかしそれをよりによって、常に自分自身に聞かせ続けた。 それが己の身を、どれだけえぐり取っていくかも知らずに。 なんてこと、私は保身出来たと思っていたのに――そんなことは出来てすらいなかったのだ。 保身したつもりで、自分で自分を切り裂き続けていたなんて。 「そう、あなたは自分自身すら騙せなかった。その愚直さはとても正しいこと。 けれど、それがために貴方はだんだん軋んでいった。嘘をついたつもりになって、自分を傷つけ続けて。 心の奥から発されるその痛みを更に嘘で塗り隠そうとして――。 罪は犯してしまったものではない。ついさっきまで、あなたは犯し続けていた。 あのまま続けば――断罪するまでもなく」 その先は、言われなくても分かる。 軋みが限界に達して、稗田阿求は壊れてしまったに違いない。 でも、どうしよう。私は。 「私は、これからどうすれば……」 確かに楽にはなれた。けれど、私はどうすればいいのか。私はまだ答えを見つけていない。 これ以上ルーミアを忘れるなら、私はまた軋み始めるだろう。 「……やれやれ」 勺で口元を隠しながら、彼女は頭をかく。切れに整えられた緑色の髪が、それで少しだけ乱れて。 けれど、勺を離したその口元には、確かに笑みが浮かんでいた。 「いいですか、稗田阿求。お説教ついでにお節介を焼いてあげます。 二つだけ、真理を教えてあげましょう」 閻魔様はそこでひゅう、と息を吸って。 「――甘ったれないでください! あなたは、子供ですか! いったい何年生きて、何年学習してきた!」 まるで里中に響くような大声を出した。 「誰かに背中を押して貰うのを待つのではない! 自ら考え、自ら動きなさい! そうでないものには何一つ掴めない! 愛するものも! 自らの居場所も! なにもかも! 人里において、のけ者にされるのがなんだというのです! あなたその対価として、もっと大切なものが得られるのではないのですか!?」 お説教は続く。 「デメリットにばかり目を向けるのは人間の悪い癖ですね。 阿求、あなたはとても弱い。自分で自分を壊してしまえるほどに弱い。 人間ならば当然のことですが――。 ですが、あなたを強くするものがすぐ側に待っているでしょう!? 彼女がいれば、あなたは何にだって立ち向かっていけるのではないのですか!? 彼女がいれば、あなたはもっと打たれ強くなるのではないのですか!? 石持て追われようが、盾持て歩けばよいだけのこと。 その盾の内側に、その盾の中にいることを許されたものだけが作り上げる強さ――それが絆なのですよ」 ああ、なるほど。そう定義するのなら人里だってそうだ。 人間の里という、盾の中にいることを許された人間たちが作り上げた、強さを持ったひとつの絆。 同じ、人間であるという絆。石持ってやってくる妖怪を閉め出す盾。 だから、人里から絶縁されても、気にすることなんてない。ルーミアと一緒なら、どこだって生きていける。 たとえ、絶縁された人里の中であれ。私とルーミアの絆だったら、どんな強さだって作れるから。 ――そうしたら、だんだんと。 ここにいることが苦痛になってきた。 お説教が嫌なんじゃない。そうだ、ただ私は考えたら――。 「それに、なによりも、連綿と続いてきた人間たちの営みを信じるのならば――。 多少の種族の違いあれど、他者を愛することが――罪でなどあるものか!」 そう、話に区切りがついた途端、私は部屋から駆けだした。 背後からは、ちょっと阿求!? という閻魔様の声が聞こえたけど。 聞く話は聞いたんだ。自分の罪だって理解した。ああ、ごめんなさい。罰はまた今度。だって。 もう二週間近くも――ルーミアに会ってないし声も聞いていない――! ――四季映姫・ヤマザナドゥ―― そうして、稗田阿求は走っていった。 私の説教も半分だけ聞いて、早くあの人に会いたいのだと行ってしまった。 「――やれやれ」 いつまでもここにいても仕方がない。太陽も沈むこの時間、小町もサボりにサボり終えて帰る頃だろう。 そう考えて、稗田亭を後にして――。 「優しいね」 不死鳥を憑けた蓬莱人とぶつかった。 「いいえ、厳しいですよ」 私の言葉を、彼女はあはは、と笑いとばして。 「言葉だけだ。私には分かるよ。 私に隠し事は出来ない。そっちよりずっと長く生きてるし――なにより」 そこで不死鳥娘は言葉を切って。 「あんた、嘘つくの苦手でしょ?」 ――やれやれ。本当に。 「優しいのは私ではありません。 そうですね、真に優しいというのなら。私にこのことを知らせた妖怪蛍の方がよほど優しいでしょう」 「――リグルが?」 藤原妹紅がきょとんとする。 彼女にとってリグル・ナイトバグは数いる妖怪の一人に過ぎないだろうけど、私にとっては。 「次にお説教する予定ですので。よりにもよってこの私に、嘘をついた罪で」 妹紅はその言葉に食いついた。 「嘘? どんな嘘?」 「彼女、私にこう言ったんです。 『友達の彼女が元気がないらしい、友達もとても心配して元気がない。私も友達が心配だから、どうにか元気にしてあげて』」 「…………?」 しかし妹紅は首をかしげる。今の話の何処に虚言が含まれていたのか、それを理解できなくて。 だから私は、簡単に答えを教えることにした。 久々に、私を良い気分にした嘘の内容を。 「面白い話です。だって、リグルはルーミアのことなんて心配してなかったのですから」 そう、彼女は純粋に阿求を心配していた。それは確かにルーミアのためであったかもしれない。 けれど、彼女はルーミアの心配だけは欠片もしていなかったのだ。 ――自分たちが何かしなくても。ルーミアは大丈夫だと分かっていたかのように。 他のなにものでもない。そのたった一つの嘘に、今回私は動かされた。 なぜなら、長い間閻魔をやってきて初めてだったからだ。 嘘をついたのは、確かに罪ではあるけれど。 あってはならない、汚らわしいものであるはずの嘘が。あんなに綺麗に、輝いて聞こえたのは。 ――ルーミア―― 「――う、わ」 降り注ぐ弾の雨の中で、私は毒づいた。 左右にはレーザー、上からは米粒みたいな弾が来る。 眩むような『邪馬台の国』の中に私はいて。 (――残ってるのは――) ポケットを改める。入っているのは二枚のカード。 (ミッドナイトバード、とムーンライトレイ――) なんてことだろう。私はまだ、上白沢のスペルカードを半分も破っていないのに。 残り数少ないスペルカード、こんなところで消費は出来ない。 考えながらも、粒弾を避けていく。あえてポケットに手はかけず、自分の力だけで、弾の隙間を抜けていく。 ……大丈夫だ、抜けられる。この弾幕の終わりは見えた――。 「――え?」 そう思った、まさに瞬間の出来事だった。 さっきまで、私の両隣に距離を置いて在ったはずの二条の閃光。 それがいつのまにか、熱を感じるまでに真横に肉薄している。 (な、何で!?) ――思考は遅い。私はそのまま体の反射に任せてその場から飛び退いた。 間一髪、さっきまで私が居た場所をレーザーは舐めていって。 レーザー弾幕は曲げることが出来ない。少なくとも、私は曲がるレーザーは知らない。 もしかしたら曲げてくるヤツがいるかも知れないけど、私が知ってるヤツじゃない。 それに、あのスペルのレーザーは上白沢を中心に全方位に放射される。 それを動かすだなんて絶対無理、と考えて。 ――その、トリックの種を知った。 術者を中心核として展開される、全方位レーザーを動かすためにはどうすればいいか。 そうだ。術者が動けば良いだけの話。 気が付いたときにはもう遅い。私は、おそらくは彼女の狙い通りに大きく動いてしまった後で。 さっきまでアタリをつけていた、回避ルートを見失った。 「あ」 そうして、飛び退った私に弾の粒が再び襲いかかる――。 胴体から弾けそうな感覚と同時に、私はまた地面に転がった。 ――被弾。数えるのはとうに止めてしまったけど、私の残機はあといくつだろう。 ――「日出づる国の天子」―― ……宣言! 上白沢の声に反応して、素早くうつぶせから仰向けになる。 そうして見えるのは、今まさに私の当たり判定たる胴に食いつかんとするレーザー弾幕――。 を、素手で掴んで止めた。 「あっつっ……」 じゅうぅ、と私の手が焼けるけれど、追加で残機を散らせることはない。 そんな、私の姿をみた上白沢は。 「――もう、やめないか」 そんな言葉をかけてきた。 「私のカードはまだ10枚を残す。 もはや勝ち目がないのは、誰が見ても明らかだろう。 なのに、なぜそんなに無理をする?」 あくまで、弾幕のレーザーの威力を強めながら、彼女は言う。 ……脅しのつもりなのか。 私もそれに負けないように、レーザーを押し止める腕に力を入れて――。 でも。 「諦めてはくれないか。 諦めるなら、この封鎖が解けた時にまた人里に入れるようにもしてやれるし――。 なんなら、私の力でこの数日を『なかったこと』にしてやってもいい」 残念ながら、私はその誘いに乗ってあげることは出来ない。 「約束があるんだ――だから、諦めることはできない」 そうだ、みんなと約束した。 それに、上白沢慧音は言ったんだ。 無かったことに、してやってもいいと。 だけど、それじゃダメだ。あれだけのことをしてしまったけど、でも、今は後悔していない。 だって、私はそんなにもあっきゅんのことを想っていられているのだから。 だから、それを受け入れることだけは出来ない。だって――。 「この心、あっきゅんの事が大好きな私を――なかったことになんて、させるもんかっ!」 叫んだ。 これだけは無くせないものが、胸の中にあるから。 私はずっと立ってこれる。今の私を作り上げる最大要素を、誰にも渡したりはしないし――。 手の火傷がだんだん酷くなっていくけれど。 そんな痛みだって、ずっと耐えていられる――! 「決裂か……残念だ」 彼女はそう言って、もう一枚カードを取り出した。 同時にぽこぽこと、私の右にまあるい弾が出来ていく。 「――エフェメラリティ」 弾はどんどんと溜まっていく。 まるで決壊寸前の堤防みたい。今は土嚢で何とか持っているだけ――。 エフェメラリティの弾の海を、私はそう受け取った。 その瞳は語っている。 交渉は決裂した、故に。 手心は既に、一切を加えないと。 「――137」 ぱちん、と指が打たれると同時に。堤防は決壊した。 押し寄せる姿は鉄砲水さながらに、弾幕は私に押し寄せる。 私を地面に縫いつけたまま。 「……こ、の……」 剣を押し返そうとするけれど、私の力くらいではびくともしない。 このままじゃダメなのに。けど、押し寄せる弾の恐怖に負けて、私は目を閉じた。 私の触れる手があった。私を抱き上げる腕があった。 縦にかかるレーザーの圧力は、横からの力を加えれば簡単に逸れてしまうと知っているように。 その人は私をレーザーから解放し、そのまま踊るようにエフェメラリティをすり抜けた。 「……な、に?」 聞こえる声は驚愕だ。 だって、それはそうだろう。私だって、どうして彼女がここにいるか分からないのに。 でも、彼女は抱いたままの私に、いつもと変わらない笑顔を向けて――。 「――久しぶりですね、ルーミア」 その瞬間、なにもかもがぶっ飛んだ。 その笑顔は、私の頭から目的も何もかもを消し去った。 その顔を見るのは何日ぶりだろう。 その声を聞くのは何日ぶるだろう。 でも、そんな感慨も何もかもどうでも良くなって。 かける言葉は一つだけ。 「うん! 久しぶりあっきゅん!!」 私は思い切り、あっきゅんの首に腕を回す。 そうして、長く長く分かれていた私たちはようやく――。 ――?―― ――それらは、諦めてはいなかった。 なぜなら、彼らは知っていたからだ。現在、人里の守護者はたった一匹の妖怪に足止めを食っていることを。 だから、彼らは考えた。今ならあの時のように邪魔されず、たらふく人間が食べられると。 上白沢慧音以外の人間なんて、ただの烏合の衆だと。 一度目の襲撃では、仲間を半分以上やられたけど。 今では自分たちにまで意識を回してはいられまいと。 半ば、獣の本能で悟っていた。 そうしてその、『なりかけ』の群れはいざ、人里へ二度目の襲撃を敢行しようとして。 「あのー」 突然、声がかかった。 彼らの誰もが意識を向けた、視線の先。緑色の髪をサイドテールにまとめた妖精が歩み出る。 「できればそれ、止めて欲しいんですけど……」 しかし、彼らは聞かない。聞くはずがない。 せっかくのパーティー、それも邪魔者がいないのだ。 邪魔だてするなら、お前も喰ってしまうぞ、と群れの中の一匹がよだれまみれの牙を剥きだして。 「めっ!」 木の上から降りてきた、一匹の猫又に踏みつぶされた。 「――――!」 群れは騒然となる。それはそうだろう。 橙の行動は、暴力を以ての制圧は敵対の意思表示に他ならない。 『なりかけ』の群れは認識する。自分たちを邪魔しようとする、生意気な妖精と猫又を。 彼女らは今、彼らのれっきとした敵になった。 橙に踏まれた仲間の一匹が、地面でぴくぴくと痙攣する横で。 「――――――――!!」 中の一匹が、顔を出し始めた月に吼えた。 戦闘態勢。それは、群れの中でも、とりわけリーダー的な役割であったからこそ、決断も早かった。 妖怪二匹くらい、この数で押せば楽に蹂躙できる、と。 だが。 「ほら、やっぱり聞いてくれない。ね、ね? 私の言ったとおりでしょ? 聞くはずがないわ」 同じように髪をサイドテールに結った、金髪の妖怪が現れる。 手には日傘と曲がりくねった杖を持って。昇り行く月を眺めながら。 「これだから、なりたては困る。空気読めないったらないよ」 マントを風にはためかせ、さらに妖虫が一匹。 「ああもう、妖怪でも、妖怪になったばかりのヤツでも良いわ。 これから、楽しい妖怪祭りが始まるよ!」 羽毛を撒き散らしながら、夜雀がどこからか姿を現して――。 「…………」 最後に、氷のような羽を持った妖精が姿を見せた。 「ようやく、会えたのよ。 大切な友達が、大切な人に」 チルノはその光景を忘れないだろう。 広場の外から走り込んできた一人の人間が、人波割って弾幕勝負にも割って入って。 自分の親友を抱き上げて――。 その時の二人の表情は、とても幸せそうで。 「だから――邪魔は、させない。させてあげられない」 言葉を紡ぎながら、チルノは手に氷の剣を織り上げる。 それを皮切りにするように、 リグルの周囲に蛍たちの光が浮かび。 後衛である大妖精は一歩下がって。 橙はぴょんぴょんと跳ねて体を温めて。 レーヴァテインから炎がたちのぼり――。 最後にミスティアの歌声が響いて。 「「「「「「あんたたちを、ルーミアのところへは行かせない!!」」」」」」 六つの声が重なった。 それが合図。 咆吼を上げて突撃する成り立ての妖怪たちの群れと、たった六匹の妖怪連合軍の、長い長い夜の始まり。 ――稗田阿求―― そうして、ルーミアを抱き上げる私に声がかかる。 遥か上空に浮く、慧音様の声が。 「――阿求。何をしているのか、分かっているのか」 かちかちかち。 「もちろんです」 「今の人里で妖怪を助けると言うことがどういうことか――本当に分かっているのか!?」 ――分かっていますとも。 「慧音様。私は、ルーミアが好きなのです」 かちかちかち。 言う言葉なんて、それだけでいい。 慧音様もバカじゃない。これで分かってくれる。 私がここに立った覚悟も、何もかも。 「――あっきゅん!」 かちかちかち。 腕の中のルーミアが声をかける。 そうだ、誰が見たって分かるだろう。 ルーミアだって、慧音様だって、周りで見ている人里のみんなだって。 だって、さっきからかちかちかちかち、歯の根が全くあってくれないし、足は震えることを止めないんだから――。 「10秒やろう」 慧音様がカードを構える。 10秒数える間に、ルーミアを捨てて逃げろ、ということか。 「いりません。今すぐに宣言をどうぞ」 「あっきゅん!!」 ルーミアが責めるように叫ぶ。 そうだ。これも誰だって分かる。私みたいにひ弱なモヤシが、弾幕戦のただ中になんていてはいけないことを。 「阿求……私に、恐怖に震える人間を撃てと言うのか?」 「慧音様。私は――ルーミアの味方です」 今の会話の間に5秒過ぎた。 「阿求!」 「撃ってください慧音様! それがあなたの使命でしょう!?」 これで残りは2秒。 「阿求頼む! 退け!!」 「退けません! 恋と意地がそれを許さない!」 そうして、約束の0秒を過ぎて――。 「阿求――!!」 「あっきゅん、私は良いから逃げて!」 二人はそう言うけれど。 私はここで逃げてしまったら、一生後悔すると思うから。 「撃て、上白沢慧音!! とっくに10秒は過ぎましたよ――!!」 私の声に反応するように、慧音様は高々とカードを掲げて。 「こ……の……与太郎がぁ――!!」 ――産霊『ファーストピラミッド』―― 宣言と同時に使い魔は放出され、慧音様を囲むように三角形を配する。 交差し交差して交差しながら迫る弾の檻の中を私はギリギリで避けていった。 時折弾が掠って、背中が焼けたりもしたけれど。 「何……?」 ――SPELL CARD BRAKE。 私は、その全てを時間切れまで耐えきった。 ――誰もが、言葉を失う。まさか私のようなモヤシが、弾幕を避けきるなんて。 大番狂わせにも程がある。 「……阿求、どんなトリックを使った」 ――国符『三種の神器 玉』―― 答える間もなく、次のスペルカードが放たれる。 簡単なことなんだ。 「慧音様。記憶に、連続性はあると思いますか?」 大玉と、それに追随する鱗弾を避けながら返す。 私の問いに、慧音様は一瞬だけ考える顔をして。 「――あるのでは、ないのか?」 「――では。昨日の夜、蓬莱人の方と召し上がった夕食において。 その方の挙動を細部まで思い起こせますか?」 「――無理だ。一瞬なら思い出せるが」 ――そう、つまりはそういうこと。 記憶に連続性がない、ということは。目から入った視覚情報の全ては映像ではなく画像として脳の中に保存されている、ということだ。 それは、例えば食事中の藤原妹紅の笑顔一枚を記憶に焼き付けても、残るのはその画像一枚だけと言うこということ。 決して動く映像で鮮明に残ったりはしないし、その笑顔になる、一瞬前の顔を思い出そうとしても上手くはいかない。 それは、脳が認識の中からその一瞬のみを保存するからだけれど。 けれど、私は違う。 ルーミアの笑顔、その一瞬前の顔、その全てを確かに記憶に保存している。 一秒一秒ごとの変遷を、能力に任せて全て覚えている。 それは、笑顔に限ることはなく。 そう、たとえば弾幕一つの一幕一幕だって、克明に思い起こせる。 さて、これを並べ立ててみるとどうなるか。 活動写真というものがある。本格的な幻想入りはまだだけど、時々フィルムというものは流れ着いてくるから――。 一度だけ見たことがある。 切り貼りした少しずつ違う絵を連続して流し、残像を利用してまるで動いているかのように見せる技術。 さて、それを私の脳内の、1秒ごとに保存された記憶で行えばどうなるか――。 答えはとても、簡単なこと。 「まさか、覚えているのか――私の弾幕を全て!」 その通り。 あなたの弾幕は全て、脳内で再生することが可能。 どこへ弾が来るかも知っている。どんな形かも知っている。 これで弾幕を避けられないとか、大嘘でしょう? あの日、ボロボロにされていくルーミアを、涙を流しながら見続けた。 ルーミアを穿っていく弾幕をひとつひとつ、無理矢理に記憶に焼き付けて帰った。 それは、こんなところで功を奏す。 「野符「GHQクライシス」!!」 ええ、残念ですが慧音様。それも――覚えています。 「――行きますよ、ルーミア」 手の中に抱いたルーミアに声をかける。 周囲は既に宵闇。 私たちの背後にあったはずの夕日は、完全に稜線の向こうへ身を隠して。 ほら、向こうの山から月が見えてる。 三種の神器の弾幕を避けながら、じわり、じわりと慧音様に肉薄して。 もちろん、弾になど当たらない。 (ルーミア) 肩を叩いて合図した。その瞬間、ルーミアは私の腕から飛び出していく。 GHQクライシスを抜けきった一瞬を逃さず、ルーミアはポケットから符を抜き放ち――。 闇が、世界を覆った。 ルーミアが放つ闇は、一部を除いて空間を埋めていく。 人里を埋め、空を埋めて。ただ――。 ルーミア本人の手の延長線上だけは埋めなかった。 この世界で現在、唯一闇に支配されぬ場所。 ならば、そこに光が収束するのは当然のことなのだ。 高純度の魔力を含んだ月の光を、闇で押し込むことにより自らの腕へと束ねる。 「月符――!」 二条、空へと突き立つ月の光で編まれた剣は、故にこう呼ばれるのは。 ムーンライトレイ。 それを見て、慌てて慧音様はポケットに手を入れるけれど。 ――もう遅い。 今や完全に、その空に顔を見せた月。真円を描くその姿を見て思う。 そうか、今日は満月。私がルーミアに食べられかけてから、もう一週間が経過するんだと――。 その、満月を糧とした魔力の束は、確実に、上白沢慧音をとらえきった。 ぴちゅーん、と着弾音が響き、爆風に慧音様の姿はかき消される。 「やった……?」 慧音様に勝った。これで私とルーミアは自由、と思ったその瞬間。 一条の光線が再びルーミアをとらえて――。 着弾音が響く中、ルーミアは体から力を無くして自由落下する。 「――そんな」 ムーンライトレイは、確かに直撃だったのに。 けれど、爆風が消えるにつれ――その姿は私たちの前に晒される。 ああ、そうか。今日は満月の夜。 確かに今夜は、ムーンライトレイの威力は最大級になるだろうけれど。 それは、相手も同じ事だったんだ。 満月を背にして、その姿は浮いている。 赤い瞳。2本の角。尻尾。色の変わった髪と服。 満月の夜に変身する。ワーハクタク、上白沢慧音が満月の逆光に隠れるようにして――。 「――驚かせてくれるな。全く」 ゆらり流れる慧音様の声。 声帯も少しだけ変わるのだろうか。それともただの余裕の現れなのか。 その声には、あり得ないほどの威厳と自身が溢れている。 「あっきゅん! 背中にしがみついて!」 戻ってきたルーミアの言うとおりに、私が彼女の背にしがみつく。 途端、ふわりと浮く体。 ああ、そうか。弾幕とは本来空中戦でやるものだった。 「やれやれ、生まれて初めてだったぞ阿求。 妖怪の血のように真っ赤な瞳より、人間の何処までも深い黒い瞳の方が怖い、そう思ったのは。 本当に、全てを見透かされるかと思ったな」 そこで慧音様はだが、と前置きして。 「私はまだ――お前に本気を見せていなかったと思うのだが、な」 そういう慧音様の、延びきった爪の先には一枚のカード。 「さて、私の友人の言葉を借りるなら――もう、戻れないらしいぞ?」 カードは宣言される。 空に浮く、私とルーミアを囲むように、しかし当たらず遥か彼方へと弾は消えていって。 「……すっごい、外れたけど」 冷静なルーミアのツッコミ。そのままルーミアは、両腕のムーンライトレイを私に示す。 切っちゃう? という意思表示だろうけど。 それならなぜ、私たちの目前の慧音様は。あんなに悠長に待っていられ――!? 思考する私の横を、もの凄い勢いで弾が抜けていった。 後ろから、前へ。先程放射した弾幕が一つずつ、主のもとへ帰るかのように。 「――もう戻り橋にも戻れない。一方通行の丑三つ時――」 月を背負って、聖獣は歌う。 宣言されたスペルはひとつ。転世『一条戻り橋』――。 ――ルーミア―― 「う、後ろから――!?」 気付いたときには遅かった。 背負っている限り、あっきゅんは安全だと思いこんでた。 どんな弾幕が来ても、当たるときは我が身を盾に、あっきゅんを守ろうと思ったのに。 まさか、それを逆手に取ってくるなんて。 上白沢の唇が歪む。 そうして、私はその意図に気付くんだ。 ――彼女は、私が自分を盾にすることが分かっていたから。わざわざあっきゅんを危険にさらした。 そうすれば。 「……いいよ、向けば良いんでしょう」 私は、敵に背を向けて。あっきゅんを守らざるを得ないから――。 「あっきゅん、回転するよ!」 「え……きゃっ!?」 そうして、背負ったあっきゅんすらも遠心力の回転の中に加えて、私とあっきゅんは位置を入れ替えた。 「あっきゅん、この弾幕、見たこと無いんだよね?」 私の問いに、あっきゅんはうん、と答える。 見たところ、粒弾が在る程度の塊になって、連続して襲ってくるタイプの弾幕。 普段と違うのは向きだけ――向き? そうして私は、一つの疑問に辿り着いた。 どうして、この弾幕は後ろから来るだけなのか、と言う事実に。 だってそう、後ろから来るって言うだけなら。こうやって後ろを向いてしまえばただの弾幕と変わらないんだから。 ほかにも何か無いと、『相手を撃墜する』ことを第一条件とした弾幕ごっことしてはおかしい。 私だって、ばらまき弾に、相手をホーミングする弾くらい混ぜ込むのに。 じゃあ、逆に考えて。私がこの弾幕に混ぜ込むなら何――? それはもちろん、相手をホーミングして狙う弾を。背後から来る弾幕に、相手が気を取られているうちに――。 死角から、打ち込む。 つまり、この弾幕における最大の死角とは。 正面に他ならない。 「あっきゅん! 後ろをぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 今日、いちばん大きな叫び声を上げた。 そのまま了解も取らずに、再び無理に前後を回転させる。 そうして再び正面に戻ろうとする私の目に飛び込んできたのは。 私たちを直接狙う、赤い大きな弾。 ――ダメ、避けられない。 けれど、無理な方向転換に、私たちの体勢も大幅に崩れていたから。 その大弾は、私の頭を横方向にぞりり、と擦れていった。 「――あ、リボン――」 後ろで、あっきゅんが何か言ったのが分かったけど。 私はもう、そんなのを気に出来た状態じゃない。 だって、だって突然――。 ――稗田阿求―― 「あ――――あああああああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ ――――――――――――――――――――」 突然の叫びと共に、ルーミアは闇を噴出した。 この小さな体の何処に、こんなにたくさんの闇を入れていたのかと言うほどに。 吐き出された闇は星を覆い、月を覆い空を覆って――。 突然収縮に転じたかと思うと、ルーミアの背中に巨大な漆黒の翼を形成する。 「ルーミア!? どうしたんですかルーミア!」 背中にしがみついている私は、その翼の出力をまともに受け――吹き出してくる闇の風圧に耐えながら、ルーミアに問いかける。 でも。 「また、また――うるさい黙れ! 私は絶対に食べないんだから――ああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ ああああああああああああああああああああああああああ!」 ルーミアには聞こえていない。どころかめちゃくちゃに、ムーンライトレイを振り回して。 「――慧音、そうだ、そっちが先――!」 「――何!?」 急遽の暴走と、突然向いた矛先に、慧音様は一瞬混乱した。 「――阿求! 何が起きている! 聞こえているか阿求!?」 「――そう、私に問われましても――!」 ――バカルテット―― そうして、彼女らは信じられないものを見た。 スペルカード戦において、避けられない弾幕ほど御法度なものはない。 遊びである以上、そして、最悪死に至る遊戯である以上――避けられる、安全に終わらせる余地を残すのは当然。 相手に回避を誘発させ、そこを狙いうち、また自分が回避側に回って――それが弾幕ごっこのはずなのに。 「――あんなの、避けられるワケがない――」 呆然としたリグルの言葉。足下には、懲らしめたなりかけの妖怪たちが横たわっている。 動くヤツはいないし、彼女らの興味はそこにはない。 何が起きているか知りたいというのなら、チルノの一言が状況を説明するに十分だった。 「ムーンライトレイが――」 あまりに現実離れした光景。 柱と言うよりも塔、と言った方が正しいくらいに肥大したムーンライトレイが。 「――閉じる――」 ――上白沢慧音―― そうして、上白沢慧音は己に向かう閃光の塊を見るに至り。 一枚のスペルカードを宣言する。 ――稗田阿求―― 「――え」 信じられない。止まっている。 極大に肥大化したムーンライトレイは、先端を交差させた。 このまま締めていけば、いつかは慧音様は避けられなくなったはずなのに。 慧音様は真横に細腕を突っ張って、閉じるムーンライトレイを受け止めた。 「ど、どうやって――」 暴走を続けるルーミアの肩から乗り出して、その理由をこの目に焼き付けた。 「――そうか」 素手で受け止めたワケじゃない。 慧音様の手と、ムーンライトレイの間にはあるものが挟まっている。 「国符――」 慧音様は、それをぐい、とこちらへとずらしはじめて。 「『三種の神器 鏡』」 そう、鏡は光を反射するから。それでムーンライトレイを受け止めることもできるし。 そのままこちら側へずらせば、ムーンライトレイをそのまま打ち返すことも可能――。 (――え?) そうして二条の閃光は鏡で一本になり、私たちに返ってくる。 それはもちろん、今のルーミアに避けられる代物であるはずはなく――。 ああ、撃ち落とされて地面に転がるのは、これで何回目だろう。 って。 「ど、どいてくださいっ!」 よりにもよって私たちは、見物の人垣のまっただ中に墜落した。 「いたた……」 人垣が分かれて出来た広場で、膝をついて立ち上がる。 うあ、腰を強く打ったかも知れない、めちゃくちゃ痛い。 「大丈夫、あっきゅん?」 す、と差し出される手。 「ああ、ありがとうございますルーミア――あ?」 「ん? どーしたの?」 いや、どうしたのってルーミア――。 「……あれ、あっきゅんってそんなに背が低かったっけ」 「いや、ルーミアが大きくなってるんですけど!?」 さらさらと腰まで流れる、綺麗なストレートの金髪。 背丈だってぐんと伸びて、今ではどこかの美人のお姉さんだ。 「あ、ほんとだ。髪伸びてる。……ねぇあっきゅん、なんで?」 「……知りませんよ」 そう言いながら、自分の手の中に握り込んだものを思う。 さっき、一条戻り橋の弾がルーミアの頭をかすった時に外れた、トレードマークの赤いリボン。 ――きっと、これが外れたせいだ。 「それより、大丈夫なんですか。さっきまで、その、苦しんで――」 「うん、しばらくは大丈夫。無理矢理押さえ込んだから!」 ルーミア曰く。さっき、大玉が頭に当たってからしばらく、思い出したように声が聞こえていたらしい。 私を食べろ、食べてしまえと。 2週間前のことは、自分がそれに負けてしまった結果なのだ――と。 (と、いうことは) このリボンは、ルーミアの力と、妖怪としての本能を抑えるもの――? 私は、これにまつわる詳しい事なんて知らないけど。 とりあえず――。 そうして、大きくなったルーミアは再び手に月光を集めた。 「……行こうあっきゅん。まだ、何も終わってない」 その通りだ。 そろそろ、満月は空の中天に達するけれど。その空で、私たちの敵はまだ待っている。 起動するムーンライトレイ。 大きな闇の翼の間にしがみついて、私はまたルーミアと一緒に――。 (ちょっと、ルーミア) と、忘れていた。このままじゃ勝てないから、作戦の一つや二つ無いと。 とりあえずあの鏡がなければいいんだから、アレをなんとかしないと。 大まかにぽそぽそと作戦を伝えると、ルーミアは。 「うん、分かった。それで行こう!」 しっかり返事を返してくれた。 そうして。私たちの激突は再び始まる。 ――ルーミア―― 「ルーミア、先制っ!!」 「分かったのかー!」 あっきゅんの言葉に従って、私はムーンライトレイを振るう。 それを受け止めるために、上白沢慧音は再び鏡を取り出した。 あっきゅんの言ったとおりの展開、でも。 「あっきゅん、ホントに行くの?」 「――行かなきゃ、勝てませんよ?」 そう言って、あっきゅんは。首だけ傾けた私の唇に――。 「また後で――ね?」 それはほんの一瞬の、愛情の確認作業。 これから何がどうなっても、自分たちは一緒なのだという誓いの行い。 そして、あっきゅんは。 「I can fly――!!」 私の背中を蹴って、中空に踊り出した。 ――上白沢慧音―― そうして、上白沢慧音はそれを見る。 ムーンライトレイを起動したルーミアから一直線、自分に向かって自由落下してくる稗田阿求を。 「な――!」 なんて無茶を、と思考をして。体は受け止めようと手を前に出して――。 もちろん、スペルカードは宣言後。 三種の神器である鏡も、一緒に移動してくる。 上白沢慧音は気付かない。それが、彼女の最大の狙いであることに。 ――稗田阿求―― 慧音様は、私を受け止める準備をしてくれたけど。 でも、すいません慧音様。 そうして私は、受け止めようとする慧音様を。 「おおおおおおおおおおおおおお!!」 首と背中の筋肉を全て動員して、思い切り仰け反った。 ルーミアに噛まれた肩が痛むけれど、そんなことは気にしない。 全力で頭突き準備に入った私に気付いた慧音様は、思わずそれを避けようとして――。 私の狙いは最初から――。 「それぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」 側に浮いている鏡に、自分の顔を写しながら――頭突きをくれてやった。 自分の額が銀盤にめり込む感触と、鏡が割れる感触は同じものだろう。 「――ざまあみろ」 けれど、自分でやってしまった結果とはいえ。 そのまま私は自由落下。地面まであとどれくらいか知らないけど、受け身でも取れば助かるかな――と考えつつ。 私は誰かに受け止められた。 見てみれば、竹林の忍者の人が炎の羽を広げて――。 ――ルーミア―― 「あああああああああああああああああ!!」 あっきゅんは大丈夫だっただろうか。私にはもう、信じるしか道は残されてない。 あっきゅんの作戦に、あっきゅん自身の救助は含まれていなかったから、きっと今頃上手くやってると思う。 私はあっきゅんに言われたとおり、右手のムーンライトレイを構えたまま、上白沢に突撃する。 でも。 あっきゅんは鏡を一つしか破壊できていない。 三種の神器の鏡は、一つだけ彼女の手に残ってしまった。 「学習能力がないのかぁぁぁ!」 残った一枚の鏡が、再びムーンライトレイを跳ね返して。 刻一刻と私に迫るムーンライトレイを私はもう一本のムーンライトレイで相殺した。 左右の閃光の出力は全く同じ。だから、こんな無茶も可能なのだ。 自分の攻撃を、自分で相殺して。 私はそのまま上白沢に、真っ直ぐ突っ込んでいく。 そんな私を見るに至り、彼女は今更、もう一枚カードを取り出すけれど。 「間に合うもんかぁぁぁぁぁ!」 相殺ついでに、二枚目の鏡に拳を入れてたたき割った。 ――SPELL CARD BRAKE。 響く言葉。 私は既に、上白沢の目の前で、最後のスペルを構えて――。 「はばたけ、ミッドナイトバード」 その目前、0距離で、思い切り弾幕を展開した。 ――エピローグ―― ――どれだけ、気を失っていたのか。 地に落ちた慧音を、朝の光が舐めていく。 空を覆っていた闇が消えて、東の稜線には顔を出したばかりのお日様が見えて。 (もう、夜は明けていたのか) と、慧音は思った。ルーミアの闇で、太陽が隠されていただけだと。 ならば。 西の空を向いた彼女の目に映るのは、しずかに沈みゆく満月。 サソリに追われ、オリオンが血の向こうへ沈むように。 豊穣神を殺してしまった月読は、天照に顔を合わせることを恥じて山の向こうへ去っていく。 同時に髪の毛から色が抜けて、服から色が落ちて、角がするんと引っ込んだ。 完全に人間に戻った中で、慧音は一人考える。 (……どうすれば、いいのだろうな) これからのことだ。妖怪に味方してしまった稗田のことも。 そんなことを思う慧音の元に。 「やー、けーね。災難だったねー」 脳天気な顔をして、不死鳥娘がやってきた。後ろには、ぞろぞろと人里の人たちもついている。 「……妹紅」 「む、けーねのその顔はまた何か、難しく考えてるな?」 ああ、と慧音は頷いて。 「稗田の処遇について、な」 「え、おとがめナシでいいじゃない」 と、真剣な相談に対して、あまりに適当な答えを返された。 「……妹紅、疲れてるんだ。真面目に聞いてくれないと先生おこるぞ。 だいたい、人間が妖怪に味方したんだ、これが問題に――」 そう、慧音は真面目だというのに。 「人間に味方してる半獣が、どの口で……」 と、妹紅はあくまで取り合わない。 「あのね。だいたい、けーねや人里の人は物事を真剣に取りすぎなの。 アレを見れば分かるでしょ」 そう言って、妹紅が指さした先には。 阿求にリボンを括ってもらって大喜びのルーミアがいた。 「しばらくぶりの逢瀬。邪魔するのも悪いし――。 今、あの二人はそんなこと、全く気にしてないよ。 当人が問題にしない問題に、他人が口出すのってなんて言うか知ってる?」 「――お節介、か?」 「分かってるじゃない」 そう言ったきり、妹紅は黙り込んでしまった。 慧音はその沈黙が耐えきれず、ついつい口を出す。 「なら――今回、私がやったことは何だったんだろうな」 「ん? あの二人と大げんかしたこと?」 ああ、と頷く慧音に、妹紅は。 「決まってる。とってもいいことをしたんだ」 ――そんな答えを返した。 「二人で何かを越えていくっていうのは、とっても大切なことなんだよ。 その壁が大きければ大きいほど、結ばれる愛は強固になる。 だから、慧音は胸を張って言えばいい。 私はあの二人の恋愛を思い切り邪魔してやった、だからあの二人は今、あんなに幸せなんだって」 「……恋愛ごとに詳しいんだな、妹紅は」 「何年生きてると思ってるのさ。こういう小言は得意だよ。おや」 そう言って、妹紅が向いた方向には。さっきまで、確かに二人ではしゃいでいたというのに。 「なるほど、な」 寄り添って、綺麗に寝息を立てる、一匹の妖怪と一人の人間。 まったく、こんな雰囲気。邪魔したくてもできやしない。 上白沢慧音は思う。 思えばあの夜負けたのも、人間と妖怪のチームだったな、と。 「――まったく。 ここまでされたなら、この厳戒態勢も解除せざるを得ないなぁ」 おおい誰か、あの二人を布団に、と言う声を飛ばすと。見たことある女性が二人を家に連れて入る。 ……彼女はたしか、稗田の女中の一人だった……か。 ふあああ、と大きなあくびをする。 そういえば、気を失っていた時間を除けばもう朝だ。 「朝餉でも喰っていくか? 妹紅?」 「貰う貰う」 そう言ってほいほいついてくる蓬莱人に苦笑しながら、慧音は思う。 食べ終わったらちょっと一眠りして、それから、ああ。 また今日も、やることがいっぱいだ、と。 静かな昼下がり。 二人の少女が、布団の中に眠っている。 一匹の猫がその片方、自分の主人に「今日は書き物をしなくていいのか」とちょっかいをかけるけれど。 少女は起きる気配もなく。 猫は、すぐに飽きて去っていってしまった。 猫は知らなかっただろう。その、薄い掛け布団の下。二人の少女はしっかりと手を繋いでいる。 ――あんなに離れてしまったのだから。もう二度と離れないとでも言うように。 ――好きですよ、ルーミア。 ――大好きだよ、あっきゅん。 END "novel top 後編へ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あとがき おかしいなあ、バカフラと同じくらいの長さにしようと思ったのに。 いつのまにこんなことに。 では、こんな後だるみしちゃったSS読んでくださってありがとうございました。 |