左のフレームが表示されない方は こちらを押してください。


あそびにいくよ



 「でも、どうしてだろう。笑いたくないときがあるの」
 「遊び終わって、帰る友達を見送るとき」
 「みすちーが屋台の準備をして、リグルが森へ行って、狐さんが、胡散臭いのが橙を迎えに来て」
 「寂しい? うん、寂しいよ。でも、これはそれとはなにか違う――別れとは違う寂しさなんだ」
 「ねぇ、チルノ、大ちゃん、ルーミア」
 「これは……なぁに?」
 「どうして、私は」
 「去っていく橙を見て、寂しくなるの?」

 ――フランドール――



 「迎えにきたわっ!」
 突然開かれた扉。
 騒がしかった外の音。
 私はきっとまた、お姉様か誰かが来たのだと思ったんだけれど。
 そこにいたのは、あの日、雨の中で楽しそうにはしゃいでいたあの子。
 「迎えに……?」
 「そうよ」
 私の問いに、その子は自信満々に首肯して。
 「いつまでも、こんなトコにいちゃあ心が悪くなるわ!
 壊すことよりも、もっと楽しいこと、あたいたちが教えてあげる。
 だから、行こうよ!」
 「行くって……」
 私はここから出ちゃいけない。私が出ようとすると、いつもお外は雨ばっかり。
 「私は、どこにもいけないのに? 外になんて出れないのに?」
 少女は今度は、首を横に振った。
 「いけるよ。どこまでだって飛べる。
 だって、そんなに綺麗なハネがあるじゃない」
 そうして彼女は、それでも飛べないって言うのなら、と前置きして。
 「あたい達が手を引いてあげる。雨が降ろうが槍が降ろうが、お日様がさんさんと照ってようが。
 あたい達がその全てを、あんたから遮ってあげる。
 あんたを傷つけるもの全部から、あたい達はあんたを守るから」
 私の前に、差し出されたのは手。
 その先にあるのは、あの日と同じ笑顔。
 ――外に出ちゃいけないって、お姉様は言っていた。
 なのに、お姉様は外に出てる。
 ――私を、こんなところに閉じこめた。
 なのに、お姉様はみんなと一緒。
 ――私に、お友達はいないのに。
 お姉様には、沢山お友達がいる――。
 差し出された手、おうちの白いティーカップみたいに、真っ白な手のひらを。
 私は、そっと握った。
 「――よし、これで、あたい達は友達だね!」
 私と負けず劣らず冷たい手。
 私たちは、その手を握り合って。
 「あたい、チルノ。氷精のチルノ!」
 「フランドール……フランドール・スカーレット!」
 お互いの名乗りの後に。
 「よろしくね、フラン!」
 「うん、よろしく、チルノ!」
 お互いの名前を呼び合った。



 「禁忌――――」
 『レーヴァテイン』
 宣言されるスペルカード。
 私の手の中の、害なす魔杖は一直線に、この地下室から地上への道を作った。
 大きな穴だ。井戸の中のカエルじゃないけれど、まあるく切り抜かれた空なんて見えやしない。
 「さっすがフラン!」
 横でチルノは大はしゃぎ。
 そのまま彼女は、また私の手を握り。
 「さ、行こ! 外の世界へさ!」
 私を、行きたいところへ引っ張っていってくれるんだ。




 そこから先は、とても楽しい日々だった。
 雨が降っていると知って、縦穴から地上に出るのを渋る私を、チルノは無理に引っ張って。
 嫌がる私を引きずり出して、雨じゃなく、氷のつぶを降らせてくれたんだ。
 魔法の呪文はパーフェクトフリーズ。
 向こうの方から飛んできた、ボロボロの猫さんが痛くないのって聞いてきたけど。
 大丈夫だったよ。
 固い塊が体に当たるのは痛かったけど。
 雨みたいに、体中が焼かれる、苦しい痛みじゃあなかったから。
 


 お昼まえ。燦々と照りつけるお日様の下を、大妖精と歩く。
 集合場所であるいつもの湖畔には、もうみんなの姿があった。
 「二人とも遅いよー」
 「ごめんごめん。フランちゃんがねぼすけで」
 文句を言うチルノに、笑う大妖精。
 「吸血鬼に、朝の早起きを期待しないでよ」
 日傘をくるくる回しながら反論する。
 紅魔館を飛び出してから一週間、私は、大妖精の家にお世話になっていた。
 日傘は紅魔館から持ってきたわけではない。
 外に出て私と遊ぼうにも、太陽が空から笑いかけている限り、それは不可能だと知ったみんなが作ってくれたもの。
 木の棒を組み合わせた骨組みに、蔓で葉を括り付けただけの、粗末なものだ。
 でも。
 どれだけ不格好でも、いいんだ。
 これさえあれば、私はみんなとお外を走り回れるんだから。
 今の日々は、とても楽しい。
 いちいち嫌なことを言う咲夜も、私を閉じこめて自分だけいい目をみていたお姉様も。
 まるで、私をいないように扱うメイドも、凄く怖い目で見てくる門番もいない。
 ――誰にも邪魔されない、私と、友達との楽園。
 これを自由って言うのかな。
 だったら、私にだけ孤独と苦痛を押しつけて、この自由を味わっていたお姉様は、やっぱりズルい。
 これからは私も、これまでの分を取り戻すくらいに――この自由を謳歌してやる。
 チルノ達と。
 「あはは、そりゃあないよみすちー! バカじゃない!?」
 ど、と話が湧いた。
 弾む笑い。私も一緒に笑う。思い切り笑う。
 ああ、私は今。あの時に見たチルノみたいに。
 笑えているのかな?
 
 
 
 



 ――大妖精――


 「あはははは、ははは、はははは!!」
 フランちゃんは、私の側で笑っている。
 私たちが、彼女をフランドールと呼んでいたのは最初の1日だけ。
 やっぱり長かったのかな、いつしか誰もがフラン、フランと呼んでいた。
 私たちと遊ぶようになって、彼女はとても笑うようになったけれど。
 でも。
 本当に、これでよかったんだろうか。


 太陽の昇る少し前、私はみんなをいつもの湖畔に呼び出した。
 「で、なんなのさ、大ちゃん。
 こんな夜明け前から」
 そう言うチルノちゃんは元気いっぱいだけれど、他のみんなはそうもいかない。
 リグルちゃんも、ミスティアちゃんも、橙ちゃんも、皆一様に、眠たげな目をこすっている。
 あ、橙ちゃんが大あくびした。
 「……ルーミア、起きてる?」
 リグルちゃんが黒い球体に声をかけるけど、返事は帰ってこなかった。
 (……寝ちゃったかな)
 確かに、ここに集まりたい、とワガママを言ったのは私だし。
 少しだけ寝かせておいてあげよう。
 この時間帯は、フランちゃんも夢の中なのだし。
 「ところで、本題なんだけど」
 おずおずと口を開く。
 その、あんなことやった私たちが、こんなこと言い出すのもなんなんだけど。
 「フランちゃんって、このままでいいのかな……」
 その言葉に、
 「どういう意味?」
 さっそくリグルちゃんが噛み付いた。
 「私はね、フランちゃんはこのままじゃいけないと思ってる。
 私たちといるのにも限界があるよ。
 今はまだ、私の所に泊めてあげられるけど。
 本格的に二人であそこに住もうと思ったら、いろいろ……必要だと思うし。
 それに……」
 私は、そこで一息をついて。
 「やっぱり、家族の側にいた方がいいんじゃないかな、って」
 「ぜったい反対!」
 私の意見は、ミスティアちゃんにより即座に却下された。
 「フランは私たちと一緒にいて、ようやく笑うようになったんだよ!?
 それを、またあの地下に逆取りさせろっていうの!?」
 「そう、なんだよねえ」
 それが悩みの種なのだ。
 「見捨てるつもりじゃないよ。
 でも、友達と家族、両方持ってるのがフランちゃんにとっていちばんいいと思うの」
 けれど、それにはまず。その家族たちが、フランちゃんを迎え入れてあげなければいけない。
 しかし、今の紅魔館に、それが出来ないこともまた事実なんだ。
 (手遅れになる前に……)
 これでフランちゃんは、一週間家出したと言うことになる。
 あの館の人たち、ほんの一部でも良い――その人の中に、フランちゃんが出て行ったことに対して寂しさを覚えてくれている人がいるなら、まだいいんだ。
 問題は、彼女をあまり長く私たちの側にいさせると、問題が解決不能になるということ。
 あまりにもフランちゃんの家出が長すぎると、彼らがそれに慣れてしまう。
 フランドールは、家を出てどこかに行ってしまった。もういない。それが当たり前。
 そうなってしまったら、今度こそ、彼女に本当の居場所はなくなる。
 帰ってきても「今更か」と追い出されるだろうし、そうなってしまえば彼女も帰りたがらない。
 彼女と姉の絆は断たれたまま。二人の姉妹は心も通わせず、誤解したまま別の道を歩むだろう。
 そんなのはダメだ。やるなら今なんだ。
 紅魔館の中の人たちが、フランちゃんがいなくなったことに対して何らかの感情を持って。
 それが、良い方向に動けば良いんだけど。

 一回無くして、本当に大切な物に気付くって言われるけど。
 私は、紅魔館の中で、フランちゃんがそうであったらいいな、と思っている。
 
 「あのさ……でも」
 橙ちゃんの口を開く。
 「家族って、良いものだよ。
 だからさ、私はフランにも知って欲しいな。
 家族っていうものを」
 「その家族が、フランをあそこまで傷つけたのよ!?」
 「みすちー、ちょっと落ち着いて」
 リグルちゃんがミスティアちゃんをなだめている。
 私の言いたいことは……みんなに、伝わっただろうか。
 「えっと……つまり、あたいたちとも遊べて、家で家族と楽しく過ごせる。
 それが、フランにとっていちばんシアワセだって言いたいんだよね?」
 そう答えるのはチルノちゃんだ。
 そう、まったくもってそのとおり。
 でも、問題は。言い出しっぺの私が、フランちゃんを紅魔館に戻す方法を、何一つ思いついていないことなのだけれど。
 「確かにそれが、一番だとは思うけど。でも、どうやるのよそれ」
 ミスティアちゃんの棘の混じった声。
 興奮は収まったみたいだけど、悪くなった機嫌までは直っていない。
 こんな話をするんだ。少しくらいは嫌われることも承知の上だけれど。
 「……まだ、思いついてない」
 「……えー」
 脱力した声は虫の王。
 「思うんだけどさ……大妖精の計画って、いつも何か穴があるよね……。
 図書館のアレとかさ」
 「な、何かなリグルちゃん!?
 その、そういえば妖精だった……所詮Hの同族か、っていうその視線は」
 「じゃあ――アレよね。ここは」
 そうして、チルノちゃんはいつもの一言。
 一人じゃどうしようもできないことでも。
 みんなで頑張ったら、なんだって出来るんだもの。


 そうして、私たちの話し合いが始まる。
 フランちゃんを、紅魔館に受け入れさせるにはどうすればいいか。
 何が問題で、何が私たちの前に立ちはだかっているのか。
 それを知るために。

 ――失敗したな、と思うことは。
 その話し合いを、トイレに起きてきたフランちゃんにばっちり聞かれちゃったことなんだけど。






 ――チルノ――





 「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
 AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
 その、燃えさかる魔杖は呆然と立ちつくすあたいを舐めて。
 寄り添っていた、大ちゃんを消し飛ばした。
 「――これが、フラン?」
 呟くあたいの声すら、別人のものに聞こえる。
 言うなれば――天災とでも言うのか。
 台風でみすちーの巣が飛ばされたのは去年だったっけ。
 それくらいに、抗いようのない暴力が、あたいたちを襲った。
 「これ……スペルカードが持っていい威力なのか――!?」
 声が聞こえたルーミアの方を向いてみると、そこには地面がある。
 大地がある。
 さっきまで、そこは湖だったのに。
 「制御できない、か。
 あのパチュリーとかいう紫色、くそ!」
 言い捨てて、リグルはスペルカードをポケットから引き抜く。
 それを、あたいは。
 「ダメだよリグルん!
 使っちゃダメ!!」
 咄嗟に止めていた。
 「どうして!?」
 だって、それを使ってフランを止めてしまったら――。
 「あいつらと同じじゃない!
 力で押さえつけるだけなら、紅魔館のヤツらと同じじゃない!!」
 失敗したのはいろんなところだ。
 こんな近くで、フランを紅魔館に戻す相談をみんなでしてしまったことも。
 フラン抜きでそんなことを、決めてしまったことも。
 あたいたちは、友達だったはずなのに。
 『友達だって思ってたのに、友達だって!!』
 暴れ出す前のフランの叫び。
 自分がいないところで。
 自分以外の友達がみんな。
 自分を、元いた嫌なところに戻そうとしているって――。
 誤解するのは当然だ。
 仲間はずれにした挙げ句、そんな――友達を簡単に捨てるようなことをしてたんだから。
 だから。
 「――分かってもらうんだ。
 絶対、無理矢理止めちゃダメだよ。
 だって、あたいたちは――」
 ――友達なんだ。
 殴りつけて無理矢理止めるなんて、友達同士のやる事じゃない。
 フランのことを思うのなら、傷つけちゃだめなんだ。
 そんなことしたら、フランはあたい達まで敵と見てしまうから。
 「無理だよ、そんな――この弾幕の中で!?
 それに、大妖精が!」
 「大ちゃんなら、大丈夫だから!!」
 本当は、こんな考え方したくないんだけど。
 やられたのが大ちゃんで、良かった。
 妖精は不死だから。
 あたいか大ちゃんなら、次の日にはけろりと生き返ってこれるんだ。
 「やめてフラン! 誤解してる!
 私たちは、あなたのことを思って――」
 「嘘だよ! 嘘をつくな!」
 止めようとしたみすちーを、弾の檻が囲む。
 童謡のようにみすちーの動きを縛る鉄格子、それはカゴメカゴメ。
 そうして。
 「――っ!!」
 みすちーは残機を散らせた。
 ――生きている。
 大ちゃんみたいに直撃されないかぎり、スペルカードルールという縛りがある限り、命が奪われることはほぼない
 だが。
 地に墜ち、倒れ伏したみすちーに魔杖が迫る――。
 「みすちー!」
 その、気絶したみすちーを、橙が救いあげた。
 飛翔韋駄天による高速移動。
 間一髪、みすちーを抱き上げレーヴァテインの範囲から逃すことに成功する。
 「橙……」
 フランの声。
 目を合わせた、フランと橙の間に錯綜するのはなんなのか。
 先程まで、あんなに激しかった弾幕がぴたりと止んでしまった。
 「フラン」
 橙が返す。
 「信じて。
 私たちは、あなたを邪魔ものだとか、思ったんじゃないよ。
 家族と一緒にいた方が、幸せだと思って――」
 けれど。
 「――幸せじゃないよ」
 「え?」
 フランのつぶやき。
 そのつぶやきが私たちの耳に届くと同時に、フランの弾幕が復活した。
 空間を埋め尽くす弾、弾、弾。
 けれど、今のそれは、大半が橙に向かっていく。
 「幸せなもんか!
 あいつは私を閉じこめたの! なんにもしてないのに閉じこめたの!
 苦痛を与えてくる家族と一緒にいたって、幸せなわけない!」
 「フラン!」 
 「橙には分からない!
 優しい家族がいるもの! そんな、幸せな橙に――」
 ――今のフランには、橙しか映っていない。
 「私の苦しみなんて、分かるもんかっ!」
 私たちがいる湖畔全域に弾幕は張られているけれど、密度が高いのは橙の周りだけ。
 フランは、レミリアに貰えなかった愛情の鬱憤を、八雲に貰い続けていた橙にぶつけている。
 私たちには、意識が向いていない。
 チャンスだった。
 大量の弾の波が、橙に向かって押し寄せる間に、あたいはフランの背後へと移動する。
 スターボウブレイク。
 虹色の弾幕はその密度でもって、橙の武器『速度』を封殺した。
 「でも、私たちは血も――」
 飛翔韋駄天は解除される。
 あの速度でその弾幕を避けようとすれば、確実に被弾してしまう。
 代わりに猫特有の柔らかさでもって、橙は禁弾をすり抜けた。
 あたいの動きに気が付いてくれたのか。よりいっそう、自分にフランの注意を引きつけるように。
 「血が繋がってなくても家族じゃない!
 血縁がなくったって家族になれるのなら、血なんて、繋がってなくていいよ!
 繋がっていても、あいつは私の家族じゃなかったんだから!」
 しかし、フランは止まらない。
 上下左右から橙に新たな弾が迫る。
 「――しまっ」
 罠にかかってしまったのか。
 複数方向からの弾に対処できなくなった橙も、あえなく残機を散らることになった。
 仕掛け垂れたのは、クランベリーの爆弾だ。
 そうして、橙を墜としたフランは、あたいがいないことに気が付いた。
 気付かれてしまった。
 「チルノ! チルノはどこ!」
 今のあたいの位置は、フランのほぼ真後ろ。
 フランの視界の外にいるんだ。いないことに気付かれて当然。
 そうして、他者を捜すいきものがやることなんて決まっている。
 後ろを振り向くんだ。
 フランのやることは分かっていても、あたいはどうすることもできない。
 フランの背中まであと少しなのに。
 見つかってしまえば、弾幕に押されてあたいは縛り付けられてしまう。
 ここまで、きたのに。
 あと少しでその寂しい背中に手が届くって言うのに――。
 そうして、フランはこちらを振り向こうとして。
 「フラ――――ン!!」
 ルーミアが、フランドールに突撃するのを見た。
 「AAAAAAAAAAAAAA!!」
 それに対しフランは咆吼。
 ルーミアの十進法に対抗したのかなんなのか。
 ルーミアの側に現れたのは、十字の形の回転弾幕が二つ。
 それに、フラン本人が放つ弾が加わって、過去を刻む時計は完成する。
 「避けきるのか――!?」
 それでも、ルーミアが作ってくれたその一瞬が。
 今のあたいに、一番必要なものだったんだ。
 「――フラン!」
 背後から、フランに抱きついた。
 小さな背中を、壊れないようにそっと、それでも力強く抱きしめた。
 「チルノ、そこに――」
 押さえつけたりなんかしない。
 あたいたちは友達なんだ、絶対に、あなたを傷つけたりしないから。
 落ち着くまで、こうして抱いていてあげるから。
 「「「「離して!!」」」」
 けれど、聞こえた声は拒絶。
 聞こえた音は四重。
 「っつ――――!!」
 それと同時に、あたいの背中に激痛が走った。
 何が起こったのか、と振り向くと、そこには見慣れたフランの顔。
 ――え?
 じゃあ、今あたいが抱きしめてるこいつは誰なんだ。
 フランに決まってるじゃないか。
 見てみれば、あたいを攻撃してるフラン、あたいが抱きしめてるフラン、ルーミアと戦ってるフラン、リグルと戦うフランがいて。
 合計4人のフランが湖畔に舞う。
 これも、フランのスペルなのか。
 「離せ!」「離して!」「離して!」「離してよ!」「チルノ!」「離れて!!」
 前と後ろ。2人のフランは、あたいを必死で拒絶するけど。
 絶対に離すもんか。
 どれだけ痛くったって、今のフランの心ほど痛んでないんだから。
 傷つく痛みに耐えて、あなたの仲間を傷つける痛みを癒すから。
 だから、フラン。
 気が済むまで、叫んでいいよ。
 あたいなんかでいいのなら――。





 「う、……うー」
 体中が痛い。
 もつれ合うように倒れたあたいとフランは、もう10分ほどこのままだ。
 「チルノ、重い……」
 下になったフランが呻く。
 「あんたが暴れた結果でしょ……ふんぬ……」
 痛む体に力を入れて、フランの上から転がり落ちた。
 結局あのあと30分ほど、あたいはフランにしがみついたままだった。
 怪力で振り回されて、もう、何も考えたくないくらいに疲れ切ってる。
 ああ、今日はよく眠れそう。
 「……最近よく、ボロボロになるなあ……」
 「厄月なのかー?」
 リグルとルーミアが寄ってきた。
 橙とみすちーは気絶中、大ちゃんに至ってはどこかで蘇生中だろう。
 再生誕中、と言った方がいいかもしれない。
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「ね、ねぇみんな……」
 沈黙の中、口を開いたのはフラン。
 「私、ここにいてもいいの……?」
 「悪いわけないよ」
 答えたのはルーミア。
 「フランは、好きなところへいけばいいの。
 それは私たちのところでも良いし、紅魔館でも良い。
 フランがそこに行きたいのなら、私たちに反対する理由はないよ」
 ルーミアは、そこでいったん言葉を切って。
 「もしもその場所が、フランにとって嫌な場所なのなら。
 いつだって、私たちに言ってくれればいい。
 手伝うよ。助けるよ。辛いものがあるのなら、一緒に戦ってあげるよ」
 そうしてルーミアはフランから視線を外して、その方角を見る。
 夜の帳に遮られて、影も形も見えないけれど。
 その先にあるのはあの赤い館。
 「――友達だからね」
 ぽろり、と。
 フランの目から、涙が散った。
 「うん……」
 最初は一筋だったそれは、台風の後の川みたいにどんどん水量が増えていって。
 「うん……うん……」
 ああ、きっと。止まらなくなってしまったに違いない。
 あたいは静かに起きあがって、再びフランを抱きしめた。
 「――行きたい場所が、あるよね」
 あたいの腕の中で嗚咽しながら、フランが頷く。
 泣いていて良いよ。
 今、思い切り泣いて、明日また、7人で笑い合うから。
 「チルノ、あ、あの、ね、私――」
 涙の混じった声で、無理に声を絞り出すフラン。
 その、頬を流れる涙を、唇で拭う。
 ――その先は、言わないで良い。
 「分かってるよ。フラン。
 今までの言葉で十分だから」
 フランは、あたいをじっと見てくる。
 おなじくらいの背丈。同じくらいの目線で。
 「羨ましいかったのよね。橙の家族が。キツネとスキマと、橙の絆が。
 自分にはなかったものだから、橙を妬んだ」
 でも、気付いてる? フラン。
 それは、その妬みはあなたの望みだってということに。
 リグルんが、あたいの言葉を引き継ぐ。
 「憧れたんだよ。家族に、橙を通じて。
 橙を自分に置き換えて始めて、家族の情愛とはかけ離れて成長してしまった自分に気が付いた。
 でも、橙を自分に置き換えたとき、フランには見えていたよね。
 自分の理想の家族が」
 そう、その、フランの理想そのものが。
 彼女が目指す、欲しがっている家族像そのものなんだ。
 「その時、思い描いた夢に誰がいた?
 私たちじゃないよね」
 今度はルーミア。
 そして、再びあたいの番になる。
 「いわなくていいよ、フラン。
 ちゃんと受け取ったから。
 いくら口で強がったって、隠しきれない心の奥を知ったから」
 これまでのように、軽くじゃない。
 思い切り強く強く、あたいはフランを抱きしめる。
 フランにもたれかかるように。フランをもたれさせるように。
 「家族になりたいんだよね。レミリアと。
 ちゃんとした、姉妹になりたい」
 だって、捨てきれるはずがない。
 世界に生きる、たった一人の肉親だもの。 
 そして、それはきっと、
 レミリア・スカーレットにも言えることなんだ。
 「紅魔館に帰ろう、フラン。
 フランの幸せには、あたいたちと、レミリアたち。
 両方が必要なんだよ」
 あそこの住人達が、いくらフランを認めなくても。
 そんなもの、あたいたちが吹き飛ばしてあげるから。
 みんなで行こう。
 与えられるはずだった幸せを、取り戻しに行こう。
 「――うん!」
 そうして答えたフランの顔は、涙でボロボロだったけど。
 これまで、あたい達が見た中で、一番の笑顔だった。






 湖に映り込む月に、石を投げた。
 波紋は水月を揺らす。
 あの、月の昇る下。
 そこにある赤い館に、あたいたちは明日、もう一度突撃を行う。
 フランを連れて。
 7人で改めて話し合った結果、フランを紅魔館に戻す、最も大きな障害はレミリアと決まった。
 特に、そのプライド。
 帰ってきた大ちゃん曰く、意固地になっているトコとかあるかも知れないって。
 半分諦め、半分意地。
 495年も幽閉していたのだ、今更出したところで理解しあえない、という諦めと。
 フランドールの解放によって、いままでの自分の行いを『間違い』であったということ。
 それを認めないプライド。
 その二つをなんとか出来れば、レミリアの説得は可能になるって大ちゃんは言う。
 それをなんとかするために、大ちゃんが出した作戦は――。
 「チルノ」
 「フラン」
 かかる声。主はフラン。
 やってきたフランは、あたいの横に腰を下ろした。
 「大丈夫?」
 「だーいじょうぶに決まってるでしょ!
 最強のあたいに任せなって!」
 明日の作戦。その最も重要な役割を担うのはあたい。
 同時に、一番傷つくのもあたい。
 「それとも何?
 この最強のチルノ様が信じられない?」
 「ううん、信じてる!」
 それでも、このフランの満面の笑みをみれば。
 多少の痛みにだって耐えられる。
 そう思ったときだった。
 「ねぇ、チルノ」
 その、満面の笑みに見とれていたあたいを、電撃が貫いた。
 あたいの頬と、フランの唇が触れている。
 ――湖の月影を。
 繋がったあたい達の影が犯している。
 「――ありがと」
 そうしてあたいたちの影は離れ。
 水面は静けさを取り戻した。
 「フ、フラン、アンタ今なにやったか――」
 慌てて、フランに事の次第を問いつめる。
 「え、だって――好きな人にはこうやるんだって、リグルが」
 そうか、犯人はリグルんか!
 そこまで考えるも、突然の出来事に混乱して頭が回らない。
 あたいがそんなことになっている間にも、フランはすっくと立ち上がって。
 「――じゃあね、チルノ。大好きだよ!」
 ぱたぱたと、寝床である大ちゃんの家へと消えていってしまった。
 ――今となってはもう、判別がつかない。
 その大好きが、あたいひとりに向けられた物なのか。
 あたいたちみんなに向けられたものなのかも。






 「たのもー!」
 「たのむのかー」
 「お邪魔します」
 「うああ、またトラウマが……」
 「みすちー大丈夫?」
 「ただいまー」
 「すいません。レミリアさんいますか」
 そんなあたい達に、目の前のめーりん姉ちゃんは。
 「…………え、あ?」
 目を点にして固まっていた。
 まさか家出した娘が、自分から犯人達と一緒に帰ってくるなど夢にも思わなかったのだろう。
 「あたい達は、レミリアに会わせろって言ってんのよ!
 門番なんでしょ! しごとしろ!」
 「あ、は、はい!
 ただ今お待ちを!!」
 おまけに、あたいに気圧される始末。
 「あまりの驚きに、思考が真っ白になってたんだね……」
 大ちゃんのつぶやきから数分後。
 メイド長を連れて戻ってきためーりん姉ちゃんに連れられて、あたい達は紅魔館の大広間へ。
 「……なんの用かしら」
 赤い絨毯の上、なんか高いっぽい椅子に座るレミリアの言葉。
 その視線はあたい達全員を見ているようで、実際には一人にしか向いていない。
 全員に気を配っているようで、その意識はフランを一番気にしているんだ。
 「妹御を、お返ししにきました」
 「へえ?」
 大ちゃんの言葉に、軽い反応を返すレミリア。
 「いいのかしら?
 あなたたち言い分だと、私たちはフランと共に過ごすことを許されないらしいじゃない」
 「ええ、もちろん」
 よし。
 レミリアは食いついてきた。
 あとは――
 「ですから、賭をしましょう。
 ルールは簡単。決闘をして、私たちが勝てば私たちの要求を通す。
 そちらが勝てば、私たちはそちらの要求を無条件に呑みます」
 この戦いを、レミリアに認めさせるだけ。
 これさえ乗り越えてしまえば、プライド高く面白いも好きのレミリアのこと。
 絶対に乗ってくる、と大ちゃんは言う。
 「――おもしろいじゃない。
 ルールは弾幕決闘よね。じゃあ、こちらの決闘者は――」
 「いえ」
 そうして、レミリアは面白いほどにあたい達の作戦にひっかかって。
 大ちゃんは、そのレミリアの言葉を遮った。
 「弾幕決闘でなく、力での決闘を望みます。
 こちらの決闘者はチルノ、そしてそちら側は――レミリア・スカーレット。
 あなたを」
 時々紅魔館に現れる、腕試しに門番に挑む者たち。
 その者達とめーりん姉ちゃんの決闘を見て楽しむレミリアなら、この条件すらOKするはず。
 それも、彼女は吸血鬼。絶対の力を持つ夜の支配者。
 スペルカードルールにより、実力差はすべて均等化されている幻想郷では、その力を奮う機会もあまりなく。
 溜まった鬱憤を吐き出すついでに。
 思い切り暴れられるという誘惑にも勝てずに。
 なにより――相手はあたいだ、力では向こうが絶対有利。
 そんな状況で逃げることは、本人のプライドが許すはずなく。
 「いいの!?
 私相手に――その条件で!」
 レミリアは目を輝かせ、座っていた椅子より立ち上がった。
 もちろん、良いに決まっている。
 それに、あたい達には作戦もある。
 フランの幸せがかかってるんだ、レミリアだってやっつけてやるわよ。
 「場を空けなさい!」
 レミリアの言葉に、従者も門番も魔女も悪魔も数歩の後退を行う。
 紅魔の住人達により、大広間に丸くつくられたリングだ。
 その中央に、レミリア・スカーレットは悠然と歩を進めて。
 「どうしたの氷精、相手はおまえでしょう?」
 あたいに向かって、かかってこい、とゼスチャーを送ってきた。
 「――――」
 同じように。
 その、人の壁で出来た、円形の闘技場に出る。
 絨毯を踏みしめて、血を垂らしたような、真紅の円の中心へ――。
 「チルノ」
 フランの横を通り過ぎる。
 「――――――」
 しかし、フランはあたいに声をかけただけで、黙り込んでしまった。
 きっと、言いたいことが沢山あって、言い切れなかったんだろう。
 だから、あたいは小声で伝えるんだ。
 「勝ってあげる。フランを、家族の元に帰してあげるから」
 そう言ってあたいは、リングの中心に歩み出た。
 「落ち着いてね、作戦通りにやればきっと勝てるから」
 こんどは大ちゃんだ。
 見れば、他のみんなもリングを形作る人垣の中に紛れている。
 「開始の合図は――美鈴、頼むわ」
 レミリアの言葉に反応するかのように、めーりん姉ちゃんは手を掲げて。
 いつの間に持ったのか。そこには、鈴が一つだけ。
 あれは、いつもめーりん姉ちゃんが決闘の時に、開始の合図とする物だ。
 それを、おもいきり振り下げた。

 リン、と。
 持ち主の名に違わずに、美しい音が響き渡って。
 「――っ!!」
 声にならない悲鳴を上げたのはレミリア。
 原因はもちろん――。

 あたいが、おもいきり足を踏んづけてやったからだ。
 「――きさ――ま――」
 先制での奇襲。思いも寄らぬ痛み。
 反射的にレミリアは足を見て、あたいの足が重なったのを確認して。
 もう遅い。
 あたいは拳を握る。
 あとは思い切り力を乗せて――。
 足を見るために下がったレミリアの顔の下、アゴをおもいきり殴り抜いた。






 ――フラン――

 「――やった!」
 私の横で、大妖精が手を叩いて喜ぶ。
 「パンチドランカー……!? そう来ましたか」
 驚く門番の声。
 これが私たちの作戦。
 大妖精曰く、思い切りアゴを上に殴ると、ノウ、だっけ。
 そういう、体の物を考えるための機関がおもいきり揺さぶられて、体の自由が効かなくなるって。
 竹林の医者が、ノーシントウだって言ってたらしい。
 私たちは、それを狙った。
 大妖精は言っていた。
 お姉様のプライドを壊すなら、『殴り合い』に持ち込まないとダメだって。
 相手の一番得意な土俵で戦って、そして勝つ。
 コレが、もっとも有効な自信喪失方法だって。
 私たちの中で、チルノが決闘者なのもその理由。
 バカ、故に弱い。それが代名詞でもあるチルノ。
 それに殴り合いで負けちゃったら、いくらお姉様でも自信なんて砕け散るって。
 だからこその決闘。
 スペルカードは、弱いものでも強いものに勝てるために、産み出されたルール。
 それは実力差を『均等』にしてしまう。
 チルノに『勝機』を与えてしまう。
 お姉様に、スペカルールのために負けたのだ、という言い訳を許してしまう。
 それをお姉様が言うかどうかは置いておいて。
 お姉様が、自分の心に言い訳をして、それでプライドを守ってしまう。
 確実に勝てる戦いで負かさないと、言い訳できない状態で勝たないとダメだと、大妖精は言っていた。
 ――でも。

 チルノが、吹き飛ばされた。
 ノウが揺さぶられて、まともに動けないはずのお姉様に、思い切り殴られて。
 「痛いわね……骨が砕けるかと思ったわ。
 ところであなた、私の脳震盪を狙っていたようだけれど」
 お姉様は一歩、また一歩と吹き飛んだチルノに近づく。
 ――ぜんぜん、効いていない。
 「残念だったわね……人間だけよ。
 脳なんて、単純で化学的な思考中枢が必要なのは!」
 チルノの襟首を掴んで持ち上げ、さらに一発二発、だめ押しのパンチが入る。
 「やっぱり失敗したじゃない、大妖精のH!」
 リグルが頭を抱えて叫ぶ。
 チルノは無抵抗のまま、五発目のパンチで再び飛んでいった。





 ――チルノ――
 
 
 
 
 
 あたいたちを囲んでいた人壁が割れて、人波になった。
 そこの真ん中を飛ばされるあたい。
 ああ、そうか。
 このリングの壁は生きたものたち。
 それがあたい達を避けるのなら、リングなんてあってないようなものなんだ。
 でも、困ったな。
 せっかくの大ちゃんの作戦は失敗だ。
 足に力を込めて立ち上がる。このままだと、また捕まってボコボコに殴られるだけ。
 こっちから攻撃しないと、あたいが殴らないと始まらないのに。
 近づいてくるレミリアに向かって拳を振るう。
 レミリアは、あたいの渾身のそれを少し下がるだけで簡単に回避した。
 「うぁ――」
 まずっ。
 思ったときには遅かった。
 自分のパンチの勢いを殺せずに空ぶって、そのままバランスを崩すあたい。
 その隙を逃すレミリアなはずはなく――。
 お腹に痛み、膝でお腹を蹴られたんだ。
 もの凄く気持ち悪くなったけど、なんとかその場踏みとどまる。
 攻撃が当たらない。
 ここにきて、妖精と吸血鬼のスペックの違いが浮き彫りになった。  なんとかしてレミリアの動きを、それより後ろに下がることを邪魔できれば良いんだけど。
 どうすればいいんだろう。
 あたいは、バカだって……すっごい認めたくないけど、バカがあたいの代名詞だから、この役に選ばれた。
 あたい達7人の中で一番頭的に弱いイメージがあるから。
 あたいに負けることが、屈辱として受け止められているから。
 ――でも、あたいじゃ、無理なのかも知れない。
 ……代名詞?
 なんか、最近、そんな思考をしたことがあったような。
 ふ、と目の前でレミリアが笑う。
 次の攻撃が来る。
 それは、考えてやった事じゃあなくて。
 咄嗟に、体が動いただけ。
 手には一枚のスペル。
 拳を振りかぶりながら、宣言されるそのスペル。
 あの時も、この時も、あたいの側にある代名詞。

 ――アイシクルフォール――――easy。

 




 ――フラン――



 チルノとお姉様の、拳の着弾は同時だった。
 めーりんの言葉を借りるなら、クロスカウンターというらしい。
 二人は同時に衝撃を受けて、同じように仰け反って。
 そこからが違う。
 響くスペルの宣言。
 チルノの背中の氷の翼。光浴びて煌めく水晶の翼。
 それが大きく伸びるように、羽ばたくように、さらに作られた氷が展開して。
 相手に向かって交差して向かう。
 「ダメだよ……あれじゃ当たらないし、これはスペル戦じゃない」
 今度はルーミア。
 確かに、チルノの氷はお姉様の背中を通り抜けていく。
 目の前にいれば、絶対に当たることはないスペル。
 私たちは、その時。ようやくその意味に気付いたんだ。
 仰け反るお姉様の背中を、氷の弾が舐めて。
 「これでもう、下がって避けることは無理ね!」
 先に体勢を整えたチルノが殴りかかる。
 下がれば被弾、お姉様には、前に進むしか残されていなかった。
 「これで、勝ったつもりか!」
 再び突き出す拳は同時。
 殴る。殴る。蹴る、殴る蹴る殴る殴る――。
 優雅さ、美しさで競う弾幕戦とは大違い。
 もはや、子供の喧嘩と何処が違うのか、顔は掴むは髪は掴むは。
 やりたい放題の二人。
 「――あの氷精、どうして耐えられるの……?」
 パチュリーは続ける。
 本気のお姉様のパンチがどういうものなのか。
 人間である咲夜なら、2発でダウン。
 極限まで鍛えられためーりんであっても、10発でダウンするだろう、と。
 吸血鬼の力とは、それほど圧倒的であるはずなのに。
 15、20発とそれを耐えきり、なぜチルノは倒れないのか。
 お姉様のパンチを掴み、カウンターを入れるチルノ。
 その背中がある。
 小さな背中。とてもじゃないけど、そんな衝撃を受けきれないだろう背中。
 ならば、お姉様のパンチをチルノの代わりに受けているのは何か。
 『勝ってあげる。フランを、家族の元に帰してあげるから』
 約束したんだ。
 勝ってくれるって。
 だから――チルノは倒れない?
 「信じてるの、チルノは」
 みすちーは言う。
 チルノを信じた私たちを、チルノを信じた私を、そして。
 紅魔館のみんなが、この決闘の後にきっと、私を受け入れてくれると。
 約束を果たすだろう、レミリア・スカーレットを。
 大広間から、自分の妹が気になって仕方がなかった、その家族の絆を、捨てきれない情愛を信じてるんだと――。
 「だから、安心して。
 チルノは勝つし、この紅魔館はあなたの家族が沢山いる。
 その未来があるから、チルノは倒れないんだから、だからフランも、」




 ――見ていたのは、いつからだろう。
 閉じこめられて、閉じこめられて、閉じこめられて。
 限界に達して暴れたその日に限って、私を出したくないのか、お外は雨ばかりが降っていて。
 抜け出した私にできるのは、メイド達に捕まるまでに、この目に入るだけの外の世界を見て、思い描くしかできなかった。
 そうして見つけたあの姿。
 ある日は、たくさんの葉っぱを集めてきて。降り注ぐ雨に当てて、いろんな音を奏でたり。
 きっと、雨をテーマにしているのだろう。鳥みたいな少女の歌に合わせて濡れながら踊ったり。
 木の下で、雨が過ぎるまでみんなでお昼寝していたり。
 濡れるのも厭わずにはしゃいでいたり。

 ――そんな、6人の中の一人。
 氷の羽を持った少女の笑顔は、その中でもとびきり輝いていて。

 私もあんな風に、笑ってみたいって思ったんだ。

 そして、運命の日がやってきた。
 お姉様でも読めなかった運命。
 あなたが変わらない笑顔で、私の部屋に入ってきたとき、私は本当に嬉しかった。
 どうせお外は雨なんだから、出れやしないと諦める私の手を引いて。
 チルノは、その間もずっと笑顔で。
 私と一緒の一週間も、ずっと笑顔で。
 そうだよ、笑う事なんて知らなかった私が、心が悪くなってた私が笑えたのは全て――。
 横でチルノが笑っていたから。
 私は笑えるようになったんだ。
 一週間、チルノがずっと笑っていてくれたから。
 笑い方を教えて貰えたんだ。
 だから――。


 みすちーの声が聞こえる。


 「笑って、応援してあげてよ。それがチルノの力になるから。
 不安な顔してたら、チルノだって不安になるよ。
 笑っていればいい。勝つって信じて、不安なんて消し飛ばしちゃえ!
 その笑顔をしょってる限り、チルノは倒れないから!」






 ――チルノ――



 ちら、と後ろを見る。
 ほんの一瞬だけ、きっと、振り向いたことだって気付かれないくらいのわずかな時間。
 その時に見えたフランは――笑っていた。
 傷ついて傷ついて、それでも立ってるあたいを見て笑っていた。
 ――誇らしそうに。
 あの日、見上げた窓に映る影。
 あたい達を見下ろして、でも、そこは自分には届かない場所なのだと。
 諦めてしまっていたその、哀しい顔。
 とても、綺麗な子だと思ったのに。
 そんなに沈んでちゃもったいない。
 だからあたいは、絶対にあの子を笑わせてやろうって思ったんだ――。
 レミリアの拳が頬にめり込んで。
 思い切り殴られたけど、もう、全然痛くない。
 レミリアの体力がないのか、心が折れかけてるのか。
 でも、もうあたいは倒れない。
 
 ――いつからだったんだろう?
 存在を知ってから10日も経ってない。
 笑顔を見てから一週間だ。

 あたいの後ろにはフランがいる。
 そうさあたいは恋娘。
 その意地にかけて、好きな子に無様な姿はみせられないじゃない?
 


 そして、決着は訪れる。
 あたいの拳は、ついにレミリアを吹き飛ばして。
 立ち上がろうとしたレミリアは、そのまま膝を折ってしまう。
 立てない。あたいの勝ちだ。あたいにはまだ力がある。
 実は結構限界近いけど、後ろにフランがいるからまだ、戦える。
 「どうしたの……立ちなさいよ私……そうよ、少しだけに膝に力を入れるだけ、なのに、立て……」
 その言葉だけ残して、レミリアの体から完全に力は抜けて。
 レミリアは紅魔館の赤絨毯の上に転がった。
 勝った。
 勝った、勝った。
 勝った――――。
 まだ、少し信じられないけれど。
 その喜びを、素直に言葉にする。
 残った力を全部、腹に入れて、心のそこから叫んでやる!

 「あたいッ!!」

 「さいきょ―――――――――ッッ!!!!」

 天をつくあたいの拳、全力全開のガッツポーズ。
 それで、あたいの残ってた体力も尽きた。
 レミリアと同じように、背中から地面に倒れ伏す。
 ああ――立っていないでいいってラクね。
 「お姉様!!」
 そんなあたいを、フランが抜いていった。
 転がっちゃったから見えないけど、レミリアの側に駆け寄ったのだろう。
 本音を言うと、まっさきにあたいの側に来て欲しかったけど。
 でも、仕方ない。だって、その行動が、レミリアとフランが家族なんだっていう証なんだから――。




 ――大妖精――




 チルノちゃんの呼吸が安定した。
 きっと、安心して寝てしまったんだろう。
 リグルちゃん達ついててくれてるし、そっちは大丈夫。
 それよりも、私にはまだやることがある。
 「――要求は、何よ」
 レミリアさんの声。
 動けないほど体力を消耗しても、意識はちゃんとあるらしい。
 「さぞ楽しいでしょう? 
 嫌いな私が、あんなHに負けるところが見れたんだから」
 「同じ言葉を、今あなたの側で泣いている妹さんにも言えますか」
 駆け寄ってからずっと、フランちゃんは泣いている。
 お姉様、お姉様と呟きながら。
 命に別状はないんだろうけど、それでも心配なんだ。
 (――姉妹だもんね)
 それが正しい姿、これまでが、大幅に間違っていただけ。
 私の言葉に黙りこくったレミリアさんを見るに、きっともう大丈夫だ。
 これまでの事に対して、罪悪感は持ってくれている。
 「要求を伝えます。
 フランちゃんを、きちんと家族として迎えてあげてください。
 それ以外には、私たちは何も望みません」
 「お姉様……」
 おそるおそる、フランちゃんが声をかける。
 家族にはなりたいけど、今までの拒絶が長すぎた。
 きっとまた拒絶されるのではないかと、恐々としながらの伺いなんだ。
 「……三日。
 準備する期間が欲しい」
 それが、返答だった。
 三日という猶予期間は必要だったけど。
 目的で言うのなら、私たちは今、まさに勝利したのだ。
 「フランちゃん、それでいい?」
 レミリアさんの側にしゃがみ込む、フランちゃんの背中に手を当てる。
 同じようにしゃがみ込んで。そんなにも嬉しいのか、止めどなく涙を溢れさせる彼女の背中をさすって。
 「うん……うん……うん……!」
 泣きながら、滝のように泣きながら、フランちゃんは頷いた。






 ――美鈴――


 「チルノは私が背負うよ。
 ううん、私に背負わせて」

 そんな言葉を残して、妹様は去っていった。
 次に会うのは三日後だろう。それまでに、私たちは彼女を迎える準備をしなければいけない。
 「お嬢様……」
 助け起こそうとする咲夜さんに、お嬢様は。
 「……助けて……」
 そんな言葉で返答した。
 「どこかしら、悪くなさいましたか」
 「そうじゃない……そうじゃないの、分からないのよ!!」
 叫ばれるのは苦痛だ。
 お嬢様が先程与えて貰った、三日の猶予の真実。
 「どうすればいいの? 私はあの子を突き放した、495年も、あの子と家族の付き合いなんてしなかった!
 今更、どんな顔をして会えばいい、どうやって笑えばいい、食事ひとつだって、一緒に食べる方法が分からない!
 ――どう言って、話せばいいの?
 私には分からない。――咲夜!」
 お嬢様は、助けを求めて顔を上げる。しかし、その視線から逃げるように、咲夜さんは目をそらした。
 「申し訳ありません、お嬢様、私も――存じ上げません」
 「美鈴」
 「……申し訳ありません」
 私も同じようにする。
 「パチェ!」
 「……あなた馬鹿よ、レミィ」
 ……誰も、分かるわけがない。
 妹様が暴れる度に、妖精メイドが何人も消えていった。
 私の友達だっていた。
 妖精だから、どこかで再生したんだろうけど、彼女たちは、もう紅魔館には帰ってこない。
 妹様は、私たちから――紅魔館から、いくつの物を奪っていったんだろう。
 私は彼女を憎んで、疎んで。
 でも、これからは。
 「しかしながら、お嬢様。恐れながら申し上げますと」
 そんな私の感情と、上手く付き合っていかないといけないんだ。
 「この紅魔館、その問いに答えられる者はおりません。
 ですが、それは皆が同じと言うことです」
 そう言って、咲夜さんはお嬢様を抱きしめて。
 「妹様との付き合い方は、これから皆がそれぞれの方法で確立していくものです。
 私たちは、彼女たちのように、何も考えない馬鹿にはなれない。
 関係に感情が入り交じるからこそ、私たちにとっても、妹様にとっても辛い道でしょう。
 ですが――。
 誰もが最初から上手くいくわけではないのです。
 失敗しながら、付き合いを覚え、距離感を覚え――それで、いいのではないでしょうか」
 咲夜さんの胸の中で、お嬢様は肩を震わせる。
 泣いていらっしゃるのだろう。
 私の目からも、知らずに同じものが溢れてくる。
 ああ、嫌いながらも、これは誰もが望んでいたんだ。
 心の何処かで、二人の姉妹が仲良く、手をとりあっていくことを。
 だから、みんな泣いている。
 「お迎えましょう、妹様を。
 準備を万全にして――心の底から、喜んで」








 ――フラン――

 三日間は、あっという間に過ぎていった。
 約束の日、太陽が沈んだ後、月の下で――。
 「お別れだね」
 「ちょっとの間だけどね」
 私とみんなは、そう言って笑い合った。
 確かに、みんなと四六時中一緒にいる生活とはお別れだ。
 でも、きっとすぐに。
 「フラン」
 「なぁに、チルノ」
 差し出される手。
 何も言わなくても分かる。
 迷わず、その手を握りしめた。
 氷のように冷たいけれど、その奥には、それ以上の暖かさがある小さな手。

 「まってなさいよ、遊びに行ってやるからね!」

 「それより先に、私が遊びに来るよ!」

 そうして、私はチルノの手を離した。
 歩く道は、紅魔館への道。
 月の下を、一人だけの旅路。
 ちょっと後ろを振り向いてみれば、もう誰もいなかった。
 ああ、これは本当にすぐ、紅魔館に遊びに来るに違いない。
 リグルもルーミアも、ミスティアも橙も大妖精も、チルノもせっかちだから。
 早くて明日。
 長い別れじゃないから、大仰なさよならなんていらない。
 私は湖畔を一人、歩く。
 チルノに引かれた手を眺めながら、
 もう、チルノに引かれる必要のない私の手。
 そこに、7人の確かな絆と、心の奥の恋だけを握りしめて。

 たとえ、本当にみんなと別れても。
 みんなにもらったこれがあれば、私は大丈夫。
 
 
 

 ―――――――――――――――――――――――――




 ――遅いよフラン! みすちーもう屋台始めちゃってるよ!
 みんな先に行っちゃったし!

 ――ごめんごめん。
 でも、咲夜はちょっと身だしなみにうるさすぎるとおもうなあ……。
 時間かかったのはぜったい咲夜のせい。

 
 少女は二人、空を翔る。
 お互いの心に、思いを秘めたまま。

 紅魔館には、開かずの扉があるらしい。
 もう、使われていない赤い館の地下の部屋。
 かつて、一人の少女が閉じこめられていた部屋
 そこに一つだけ立てかけられた傘は、木の枝と蔓と葉で出来た、とても粗末なもの。
 けれど、とても大事に保管されている。
 






"novel top
前編『むかえにいくよ』

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 あとがき

 
 百合スレに投下したものを誤字脱字、及び加筆修正したもの。
 執筆中聞いていたBGMはBOWLの『99%』。
 とあるアニメのOPだけれど、歌詞のせいでいつのまにかフランドールの曲にしか聞こえなくなった。
 この作品全体のモデルになった歌です。
 
 うん、すまない。百合と熱い展開ははたして複合するのかを試してみたかっただけなんだ。
 弱い子たちがボロボロになりながら、大切なもののために拳を握って立ち上がる。
 実は、チルノはけっこう主人公向けだと思うのですよ?

 展開もゲドゲドにならず、比較的さっくりと終わる。
 俺が書いた東方SSのなかでは一番お気に入りかも知れない。

 問題は、フランがまったく狂っていないことか。